2018年06月20日

【回想録】「まとめサイト」の思い出

 今、「まとめサイト」というと、5ちゃんねるの面白い書き込みを抽出して編集し転載、それでアフィリエイト収入を得ているサイトのことを指すことが多い、というか、そういう意味しかなくなってしまった。しかし、もともと「まとめサイト」はそういう意味のものではなかった。

 例えば2ちゃん(当時)で祭りが起こる。祭りには最初から参加している者ばかりではないので「今北産業(今、祭りに気がついてこのスレに来た。三行くらいで要約してくれ)」の人も多くなる。
 そういう人に「過去ログ読め」というのはちょっと無理な話。2ちゃんねるは999カキコで過去ログ入りしてしまうし、過去ログは「●」がないと読めない。なにより、スレ番号が二桁行くような祭りの過去ログを読んで、それまでの流れを把握するのは大変だ。

 そこで、ここまでの経緯や、各種資料、情報などを集約したサイトを、だれかがボランティアでつくることになる。それが、本来の意味の「まとめサイト」だったのである。

 祭りも活気がつき始めると「だれかまとめサイト≠ツくってよ」という声が上がってくることは珍しくなかった。

 当時はまだジオシティやトライポッドなどの「無料サイト」が活発に稼働しており、匿名でサイトをつくることが容易であった。また、ネットが今ほど普及していたわけではないので、自然、htmlに詳しい人も多く、ゼロから「まとめサイト」をつくることができる人材も少なくなかったのである。。

 そして、実はわたしも、いくつかの祭りで、匿名で「まとめサイト」をつくっていたことがあったのである(笑)。
 思い出に残るその祭りのひとつは、最初、専門板で起こり、やがてマスコミが取り上げたことで、2ちゃんのメインストリートである「ニュー速プラス」にスレが立ち(ニュー速プラスはマスコミソースがなければスレが立てられない)、加速度的に、いつもは過疎板であるその専門板のスレにニュー速プラスからきました≠ニいう人が多くなっていく。そして祭りはさらに活気づき、騒ぎは拡大再生産されていく、ということになった。

 なんだかんだいっても、ニュー速プラスでスレになるのは強いものだなぁ、と思ったものである。あそこにはいろいろルールがあり、マスコミソースが連続して上がらないと記者さんがスレにしてくれない。スレにしてくれないと、祭りが収束してしまう。
 そのときの祭りはテレビのある番組がもとであったので、テレビ番組のワイドショーレベルでは、同業者に遠慮してか、延焼を恐れてかほとんど取り上げなかったと記憶している。
 しかし、テレビをたたく週刊誌は、例のごとく「週刊新潮」と「週刊文春」が記事にしてくれた。そのソースをもとにニュー速プラスでは連続してスレが立ち、専門板の該当祭りスレも次々と番号を増していった。

 わたし自身は、その祭りについてもちろん自分の意見はあったが、「まとめサイト」の管理人としては、あくまで冷静に、賛成派、反対派、懐疑派、確信派などの意見、資料を集め、右にも左にもそれることなく、公平に読者に提供し、判断は読者が持てるように、と努めていたつもりである。

 ところが、ニュー速プラスからのお客さん≠ェ多くなってくると、本当にいろいろな意見を持つ人が多くなってくる。当然荒らし≠熨揩ヲ、スレがだんだんと機能しなくなってくるのである。
 そしてあろうことか、(結果的には)祭りの終盤にスレが分断し、それをボヤく地下スレまでできてしまい、賛成派、反対派の意見もごちゃまぜになっていき、どうまとめていったらいいものやら困ってしまった。

 それを見ていた名無しさんのひとりが「まとめサイトの管理人さんが困ってるよ(藁」と書いてくれたのが慰めである。

 ちょうど前後して、それまで倒れたことがなく健康に自信を持っていた自分に、初めての持病の発作が起こった。
 これはちょっと、急を争う病状であったので、急遽、わたしのまとめサイトは更新停止すると書き込んで、スレ住人の皆さんには許していただいた(同じ事件を扱うまとめサイトは、わたし以外にもつくっていらっしゃる方がいたので、わたしひとりが更新停止しても大丈夫だったのである。というか、もともとアフィリエイトもなく、匿名無償のボランティアでやっているものであるから、当時の「まとめサイト」の管理人にはそれなりの敬意を払うのがスレ住民の総意であった時代だった)。

 そんな感じで、尻切れトンボで終わってしまったその祭りのわたしの「まとめサイト」だが、確かジオシティでつくって、ずいぶん長い間残っていたという記憶がある(今は消えている)。

 今でも振り返ると、少なくとも「祭り」の効果はあった、と思っている。ネットがテレビにケンカを売った序開きの事件ではなかったかなぁ。

 そして今や、ネットもひとつの勢力として無視できない大きな力となった。オリンピックのエンブレムの盗作を見抜いた祭りなど、実に感慨深い。

 そしてわたしは、めっきり、テレビを見なくなってしまった。白黒テレビとともに幼少期を送り、カラーテレビとともに育ち、プロフィールプロでテレビをつけなかった日がなかったわたしが、今やテレビをまったくつけない日の方がほとんどだ。
 テレビでいくら有名な芸人でも、知らない人ばかりである。

 とは言え、ツイッターとかを眺めていると、テレビの話題が多かったりして、テレビもまだまだ大衆にとって現役なのだなぁ、とは思う。

 話がちょっと飛んでしまったが、もともと「まとめサイト」というのは上記のようなものだったのですよ、と、こうして文字にして、記録に残しておきたいと思って筆を執った次第。

 最近の「祭り」は「まとめサイト」をつくるだけの人がいなくなってしまったので、ネットの歴史にログとして残っていないのが残念である。
 それだけ、ネットも広く、浅くなってしまったということか。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年06月13日

【日記】この、なんでもない日に

"I mean, what is an un-birthday present?"
"A present given when it isn't your birthday, of course."
(From "Through the Looking-Glass and what Alice found there")

 アリス「えーっと、お誕生日じゃない日のプレゼントってなに?」
 ハンプティ・ダンプティ「お誕生日じゃない日にもらうプレゼントのことさ。言うまでもなくね」
(「鏡の国のアリス」より)


 数年前、長崎への原爆投下日である8月9日に、ディズニーランド日本公式が「なんでもない日おめでとう」とツイートをやらかして問題になったことをお憶えの方もいらっしゃるだろう。

 多くの人が勘違いしているが、この「なんでもない日おめでとう」の元となった「un-birthday」は、ルイス・キャロルが書いた「不思議の国のアリス(Alice's Adventures in Wonderland)」の原作に出てくるフレーズではない。上にあるように「鏡の国のアリス(Through the Looking-Glass and what Alice found there)」の一節である。
 これがディズニーアニメ「不思議の国のアリス」で使われたものだから、多くの人は「不思議の国のアリス」の「マッド・ティーパーティ」のシーンだと思っているわけだ。

 さて、今日、6月13日は、なんでもない日である。いや、今日バースデーの方もいらっしゃることだろうから、その方へは「ハッピーパースディ!」。他にもいろいろ「今日が記念日」という方々へも「おめでとうございます」。
 そしてわたしにとっても、二年前、この「なんでもない日」に、本ブログ「いまさら日記」を始めた記念日でもあるのである。

 実際、本当に二年前の6月13日に、なにか契機となるようなきっかけがあったわけではない。ただ、心身の調子が上り坂で、これならもうちょっと、なにか新しいことをする余裕もできそうだな、という予感から、ウェブサイトをリスタートし、ブログを始めた、と、そういうわけ。

 始めは毎日更新をする気などなかった。ウェブサイトの方にも「気が向いたらチマチマ更新」などと書いていたはずである。
 それが、一度始めてみたら、けっこう続くのである。最初の数ヶ月は抹香臭くなる「カットリク!」ネタを始める前の助走期間と思い、そういった話題を書かずに懐かしネタで突っ走れた、というところもある。
 これが一カ月、二カ月と毎日更新していくと、別に「毎日更新です」と宣言していたわけでもないのに、やめられなくなる。
 前の記事「ルーズ or タイト」でも書いたように、自分でタイトにしてしまったのだ。まぁ、性格的なものだからしかたない。

 半年、一年と、毎日更新を続けて、こうなると本当にやめられなくなった。毎日記事を書いていると、今日は三振だなぁ、ゴロだなぁ、ポテンヒットくらいか、というような日も出てくる。
 また、心身が健康というわけではないから、いざというときのために書きためもしておかねばならない(実際、それで助かった時期もある)。一時は一カ月分の書きためをしてあった時期もあったが、それでも安心できないのである。

 そんなわけで――言い訳をいくつ並べてもしかたない。今日、毎日更新の二年を過ぎた記念日に、毎日更新はやめよう、と思う。

 かといって、すっかりブログをやめてしまうわけではないので、その点は――愛読者の方がいらっしゃるなら――ご安心を。今までタイトでやってきたブログを、少しルーズにしよう、とこういうわけ。

 本当は、キリのいい三年間は毎日更新を続けたい(なぜ三年間がキリがいい≠ニいう感覚があるのかはいつか別に考察するとして)と思っていたのだが、正直、今は、心身ともにかなり無理がきていることを自覚しなければいけない事件などもあり、主治医からも「今はなにより、無理をしないように」と言われたことも後押しされて、この決断をすることにした。

 思えば、少なくとも毎日原稿用紙三枚分の量は書こうと決め、二年間の毎日更新、自分でもよくがんばったものだと思う。
 読み返してみると、けっこう自分でも面白い記事が多い(笑)。

 一番苦しかったのは、やはり昨秋、病院同士の手違いで併用禁忌のクスリが出されてしまい、その影響で超低血圧になっていた時期だった。まるっきり体が動かず、自分はまた、別の病気を発症してしまったのではないかと危惧したくらいであった。

 二年間で毎日更新をやめてしまう、という決断にはもちろん逡巡があった。少なくとも三年間はがんばろう、と、今年に入ってから思い直した時期もあった。
 それでも、今日、この決断をすることは間違いではない、そう思う。

 これからの更新ペースだが、これも特に決めていない。これも決めてしまうと、自分の性格上、「タイト」になってしまうと思うからである。
 心をゆるーくして、気が向いたときに更新できれば、と思っている。

 今まで二年間、毎日読んでくださっているという読者がいらっしゃることも知っている。直接、メールをお送りくださった方、交流が途絶えて懐かしい方からも連絡をいただいたりして、うれしいことも多かった。
 そういう読者はもちろん、ただ、読んでくださった読者の皆さまにも、心から「ありがとう」と謝辞を述べたい。
 そして、これで終わりというわけではないので、これからもよろしくお願いします、とも。

 二年前の六月は、心身ともに上昇気流に乗れそうな予感があったのだが、実際には七転八倒の二年間であった。服薬量も上がり、種類が変わったものもある。

 それでも、わたし、結城恭介は生きている。そう、あなたと同じ時代に、この地球のどこかで生きている。

 今まで、毎日お読みくださったみなさん、ありがとう。神さまにありがとう。
 そして、これからもよろしくお願いいたします。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年06月12日

【日記】ルーズ or タイト

 といっても性癖の話ではない。
 いや、うーん。やはりこれは性癖の話になるのかな。しかし、女性のソックスの話ではないぞよ。

 これは昔、ハードコンタクトレンズをしているときに知ったことなのだが、人間、個人個人、ルーズな感じが好きか、タイトな感じが好きかが違うのである。
 ソフトコンタクトレンズは、材質状柔らかくフィットしやすいので、レンズカーブが数種類しかないが、ハードは瞳の曲率に合わせて種類が多い。そして自分が「フィットする」という感覚が、それぞれ個人によって違う。
 わたしはあまり目の中でゴロゴロとレンズが動くのが好きではないタイプ。つまり、瞳の曲率に一応適合していても、動きが多いレンズは「フィットしない」と感じる。ハードの場合、あまりタイトだと瞳の酸素交換がしにくくなるので、ルーズな方がいいのかもしれないが、これが「性癖」だから仕方ない。

 服の袖などもルーズなのはイヤだ。手首のあたりでダランとしている感じは嫌い。
 いわゆる袖を手で持つ「萌え袖」というポーズがあるが、かわいい女の子がやっていれば似合っても、初老過ぎの男がやればキモいだけである。
 服自体や靴、帽子、メガネなどもルーズなのはイヤである。宇宙戦艦ヤマトの女子制服のように、体にタイト過ぎるのはこれもイヤだが、メガネが鼻筋から落ちてくるのを何度もクイッとあげる、そういうのもイヤ。

 性癖的に、「遊び」が多いのが嫌いなのだろう。
 プログラムでバッファを取るときも、ムダにmallocするのは嫌い。フラグ管理もintを1か0で使うより、charで1byte取って、その8bitをそれぞれ立てたり寝かしたりして使う方が好きだ。
 うーん、根がケチなんですな、きっと。

 まあ言葉を選べば、ムダが嫌い、ということでもある。
 何度か書いたが、独身時代、わたしの部屋は今でいう「ミニマリスト」のようになにもなかった。必要最小限のモノしか置かない、ということに快感を覚えていたのだ。

 デビュー作「美琴姫様騒動始末」を書いたとき、母校の国語教師に称賛されつつも、読後の感想のひとつとして「女は生活≠セよ。結城はまだ童貞だな」と笑顔で言われたことがある。その言葉の意味がわかったのは、確かに細君と暮らし始めてからであった。女は生活である。必要最小限のモノで回っていたわたしの部屋にムダなモノがたまり始め、床は散らかり、壁は衣服で覆われていく。
 あぁ、先生、先生のおっしゃっていた意味がようやくわかりましたよ、と、生活感あふれる部屋の中で、わたしは嘆息したのである。

 どんなこと、モノ、システムにも、余裕を持たすという意味の「遊び」が必要なことはわかっている。遊びのないシステムは壊れやすい。上記のプログラムにしても、バッファを必要最小限に取っているようなコードはオーバーフロー対策をきちんとしておかないと攻撃に弱い。
 わかっちゃいる、わかっちゃいるが……やっぱり自分は、キッチリキッカリ、タイトでムダのないシステムが好きなんだなぁ。

 こんなことを改めて思ったのは、最近ハマって、コレクションのように集めているルービックキューブも、各パーツがタイトでキシュキシュいうくらいの方が「好きだなぁ」と感じたから。柔らかく遊びが多いキューブだと、どこか心もとない。
 ただし、タイトなキューブだとタイムは伸びないのだろうな、とはわかっている。まあ、もともと、まだまだスピードキュービストを名乗れる技術はないのだけれど。

 というわけで、2016年6月13日から、一日も休まず、タイトに続けてきたこのブログ「いまさら日記」も、今日で丸二年が経過したことになる。

 それでね、それで、あの、えーっとぉ。明日、体育館の裏に来てくれないかな? お・ね・が・い。chu♥
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年06月11日

【日記】十年前に戻ってやりなおしたら……

 きっとお前は、十年後に、せめて十年でいいから戻ってやりなおしたいと思っているだろう。
 だったら、今、やりなおせよ、未来を。
 今のお前は、十年後か、二十年後か、五十年後から戻ってきたんだよ。


 内容はわかりやすいように書き換えたが、この「名言」を聞いた方、少なくないのでは?

 実は、これはコピペで、2ちゃんねるの就職板に書き込まれたものらしい。
 このコピペの初出はいつだろう。ちょっと調べたがわからなかった。2011年1月の「Yahoo知恵袋」には登場しているから、すでに八年は経っているようだ。
 おそらくわたしも、その頃に読んだのだと思う。

 おそらく二年後の2020年、つまりこの名言が誕生してから十年経った時点でも、この言葉を初めて読んで、感動する人は多いに違いない。

 わたしも、最初、この言葉にハッとするものがあった。なるほど、と。そうだよな、と。
 今の自分が、十年前から戻ってきた自分であると思うなら、なんでもできる、やりたいことを先延ばしせず、我慢せず、自分の可能性を信じて、やりたいことを、なんでもやってみよう、と。

 そして、この言葉とともに、八年を過ごし、思うことがある。
 おそらく、今の自分が十年前に戻ったとしても、今の自分は、なにも変わっていないだろう、と。

 いや、どうかな? いくつかの失敗は、あらかじめリカバーできそうだ。しかし本質的に置かれている状況は、今と変わっていないような気がする。

 コーネル大学のギロビッチ博士は「行動した後悔より、行動しなかった後悔の方が深く残る」という研究結果を残しているが、これは当たり前なのだ。
 なぜなら、この世、特にこの日本では、「行動して失敗した人間」は、後悔とともに、自ら先に死んでいくから。
 生き延びた人間だけが、「行動しなかった過去」を後悔するという自涜行為にふけることができるのである。

 例えば、あなたは戦場にいて、塹壕から飛び出して敵をやっつけなければいけない状況にいる。
 飛び出すという行動を起こした兵士は、そこで敵に撃ち殺されて、後悔もなく死んでいく。
 残ったのは、塹壕で飛び出すこともできず震えていて、「行動すればよかった」と嘆くばかりの臆病者ばかりになる。こうしてギロビッチ理論がなりたつわけである。統計のひどい欺瞞だ。

 そんなわけで、上記の「きっとお前は、十年後に、せめて十年でいいから戻ってやりなおしたいと思っているだろう」コピペを読んで、もはや感動できない自分が、今、ここにいる。

 じゃあさぞや結城さんは幸せでしょう? と尋ねられるかもしれないが、それがそんなわけでもない。不幸せではないと思うが、毎日を幸福感の中で生きているわけでは決してない。むしろ、青息吐息で、毎日、青い鳥を探して生きているような、そんな日々。
 なにか満ち足りず、なにか不満で、なにか問題を抱え、なにか嘆き、なにか耐え、なにか絶望している。

 最初のコピペも、ギロビッチ理論も、大切なことを見逃しているのである。それは、人間を人間たらしめるのものは、目標をたて、それを極めることではなく、今、今――今、ここにいる自分が幸せであること。ということである。

 今のわたしが、十年前のわたしにメッセージを送れるとしたら、最初のコピペは送らない。

 きっとお前は、十年後に、せめて十年でいいから戻ってやりなおしたいと思っているだろう。
 だけどな、教えてやる。お前は今、幸せなんだ。たとえ絶望の淵にいると思えていても、お前は今、確かに幸せなんだ。このことを忘れたら、お前は今後、なにをやっていても、幸せを感じなくなる。それは、その日々は、地獄だよ。


 と。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年06月10日

【日記】スピードキューブ

 相も変わらずハマっているルービックキューブだが、何も見ず、脳力と記憶だけで六面完成できるようになると、やはり時間短縮にチャレンジしてみたくなる。

 実は、ルービックキューブでタイムチャレンジする、というアタマは、第一次ブーム、わたしが高校生の頃には、正直、なかった。当時は「六面完成できるか否か」がまず問題で、その時間で競い合う、という発想が(わたしの友人間では)なかったのである。

 初めて、ルービックキューブで時間を競う、という発想をわたしに与えてくれたのは、中学時代の畏友H君であった。彼が年賀状に「ルービックキューブを×分で作れるようになったぞ!」と、一言、添えていたのだ。
 ×分の×が思い出せないのだが、一分だったかなぁ。当時開かれたという第一回大会のチャンピオンの資料を見てみると、三回の平均が52秒だったそう(宝島社「頭を鍛えるルービックキューブ完全解析!」より)だから、やはりそのくらいだったろうか。
 おそらくまだ、ツクダ式だけで、LBL法は生まれていない頃だと思う。それとも、地頭の良いH君のことだから、自分でLBL法に取りかかっていたのかも知れず。

 というわけで、「へぇ、ルービックキューブで×分切るってのはすごいことなのか、な?」と自分は感心したり、困惑したりしていた。というのも、その頃の自分はツクダ式を覚えてできるようになっていて、ルービックキューブをやらなくなってしまっていたから。キューブ本体も、誰かにあげたか、捨てたかした後だったように思う。

 話は現代に戻り、今はスピードキュービストたちのサイトや動画を見たり、入門書を読んだりしているのだが、多くのキュービストたちが「誰でも一分は切れる」というのにはまいった。いやそれ、ほんとですか? という感じだ。

 Wikipediaによると、ツクダ式でも極めれば一分以内は可能と書いてある。
 というわけで、超久しぶりにツクダ式を試してみたのだが、「えーっ、これ、高校生の頃の自分、全部覚えたの!?」というのが正直な感想。LBL法の基礎のほうがよっぽど簡単に思える。余裕があったらツクダ式を再習得したいところだが、LBL法と混ざってしまうのが怖くて、今はその一回でやめてしまった。

 さて、そのLBL法だが、入門書を買って、F2Lの解法を習得しようとしているのだが――

「図の見方すらわからない!」

 のである。なんとまぁ……。笑わば笑え、である。自分でも情けなくて笑うしかない。
 こういうのはきっと、スルッとわかる瞬間があったり、わかる人にヒントをもらうだけでハッとして解読できるようになると思うのだが、今はまだ、謎の図解なのである……orz。



 今のキューブが「基本パターン」、「応用パターン」のどちらに合致しているのかすらわからない。情けなや……。
 先にOLLやPLLのほうを習得したほうが早そうだなぁ、などとも思っていたりする。こちらのほうの図はまだわかるから。

 それと、以前の記事にも書いたが、いわゆる「競技用」のキューブも買ってしまった。これはすごい。確かに引っかかりがない。ヌルサクで心地よく回る。



 左がVFUnixの磁石入りのもの。カクッ、カクッと気持ちよくカタにハマる。右はNewislandの全面塗装。今の一番のお気に入り。ただ、一回、勢いよく回しすぎて、コーナーキューブがひねり回転して入ってしまったことがあり(これを「ピボット」と呼ぶらしい)、それ以来、ちょっと怖くて思い切り回せなかったり。

 わかったこと――スピードキュービストの間では常識なのかもしれないが、キューブって消耗品なのだなぁ……。

 それと「ひとつあれば、一生遊べるパズル」ってのはウソですから。こいつら、増殖していきますから!



 ヘタの横好き、きわまれりといった感じである。
 今は、10回やって、4回くらいなら二分台を出せそうな実力だ。
 一生つきあえる趣味になるかどうかはわからないが、いまのところは、高校生時代の懐古趣味も後押しして、楽しんで回している。

 そしていつかは、畏友H君と再会した日に、子どもの頃を思い出しつつ、競争したいものだと思ったり、も。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記