2018年04月10日

【日記】店員にお礼とか

 いささか旧聞になってしまったが、ツイッターで出た話題。

 お店でレジ打ちしていたときに男子高校生が「ありがとうございます」と会計後にお礼を言ったところ、その友人が「お前店員にお礼とか恥ずかしいことすんなや」と言った。


 というもの。
 あまりの非常識ぶりに頭がクラクラしてしまった。もちろん、「お前店員にお礼とか恥ずかしいことすんなや」と言ったという男子高校生の友人≠ノ、である。

 こういう子どもは、親に「人になにかをしてもらったらお礼を言うのが当然」という当たり前の教育をうけてこなかったのだろうか。
 それとも「お金を払うのなら立場が上なのだから、お礼を言うのは向こうの方。こちらがお礼を言うのはおかしい」などという敬虔な拝金教徒なのだろうか。
 なんにしろ、育ちが悪かったとしか言いようがない。世の中、いろいろな人がいることは、この歳になって十分承知してはいるが、今の豊かな日本でも、こんな若者もいるということに暗然としてしまう。

 類は友を呼ぶ、というが、わたしの友人関係に、こんな非常識なことを言う人はひとりもいなかった。みな快く、店員さんにお礼を言う。たとえ、実は大会社の社長さんという身上の人でも「ごちそうさま」と言って出て行く。
 いやむしろ、頭のいいヤツ、社会的に身上がいいと言われている人ほど、店員さんへの口調も丁寧だ。

 これには、実は理由があるのである。
 かつて、日本には「やんごとなきお嬢さま」がいる時代があり、「お嬢さま言葉」というものがあった。
 育ちのいいお嬢さま方は、「よろしくてよ」「ごきげんよう」「ごめんあそばせ」などという言葉を使ったのである。
 ある日、お嬢さまが教育係に――
「どうしてこのような丁寧なお言葉を使うのですか?」
 と聞いたところ、教育係はこう答えたという。
「たとえ相手が無礼な人間でも、こちらが丁寧な言葉を使えば、こちらを丁重に扱わざるを得なくなります。お嬢さまが丁寧な言葉を使うのは、相手にお嬢さまをお嬢さまとして扱わせるための矜持なのでございます」
「もし、それでも相手が乱暴な言葉を使ってきたらどうなのです?」
「野蛮人に言葉は通じません。ただそれだけです。相手を野蛮人扱いすればよいのです」

 つまり、こう言ってはなんだが、店員さんに丁寧な言葉を使うのは、こちらも丁寧に客として扱ってもらうためのテクニックなのである。
 頭のいいヤツ、身上の高い人は、それを本能的に、あるいは親に教わって知っている。だから店員さんにもお礼を言うのである。

 そういった功利的なことを抜きにしても、やはり、人になにかしてもらったら、たとえ金銭の授受があったとしても「ありがとうございます」という気持ちと心は必要ではないか。そう思う。

 ひとつ、たしかに言えることがある。店員さんにお礼を言ったら、「お前店員にお礼とか恥ずかしいことすんなや」というような者とは友人になりたくない、そんな恥ずかしい相手と人間関係を結んでいたくない、ということである。

 同じ野蛮人に見られたくないから、ね。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年04月09日

【日記】ドカフェ

 持病で毎日服薬しているクスリは、特に「絶対禁忌」というわけではないが、カフェインとの併用は良くない、と、されている。主治医の先生も「コーヒーなどカフェインの摂取を特に止めはしませんが、もともと入眠潜時が長い(寝つきが悪い)のですから、お勧めはしませんよ」とのこと。なお、アルコールとは併用禁忌。

 まあそんなわけなので、夜のコーヒーはなるべく「デカフェ」にしている。
「デカフェ」も有名になったので、特にわたしがここで解説する必要はないかもしれないが、これはコーヒー豆からカフェイン成分を抜いたもので、まったくゼロにはできずとも、含有率0.2パーセント以下まで抑えたものを言う。とはいえこれはヨーロッパの規格であって、日本には特にそういったレギュレーションはない。
 最近はインスタントの「デカフェ」もあり、だいぶ一般にも知られてきたようだ。そのうち、日本でもなにか基準ができるだろう。

 せっかくのカフェイン飲料であるコーヒーから、カフェインを抜いてしまうなんて、もったいない――という声もあろうかと思うが、カフェインには微妙に催奇性もあるので、コーヒー好きな妊婦さんなどを中心に、「デカフェ」需要はここ数年、確実に上がってきているのである。

 コーヒーの生豆からカフェインを抜く方法は大別して二つあり、ひとつは有機溶媒や水を使ってカフェインのみを抽出し、カフェイン以外の成分を再び生豆に戻す方法。もうひとつは「超臨界二酸化炭素抽出」という、名前だけでも凄そうな方法で、なんか凄いらしい(笑)。
 どちらも試したことがあるが、味覚音痴のわたしには、普通のコーヒーと区別がつかなかった。
 他にも、もともとカフェインレスのコーヒーノキの作成を品種改良で目指す方法、遺伝子組み換えを用いてそれを作る方法など、いろいろと方法が模索されている。

 まったくそういったものを使わないで、なるべくカフェインを抑えたコーヒーを飲みたいなら、もとからカフェイン成分の少ない「リロイ」という豆を深煎りにして使う、と言う手がある。が、この「リロイ」、超高いのである。今、ネット通販を検索してみると、50グラムで2,150円という数字が出てきた。だいたい一人分のコーヒーを抽出するのに必要な豆は平均12グラムなので、一杯537円である。
 ん、計算するとそう高くないじゃん? と思う方もいらっしゃるかもしれないが、コーヒーは家で毎日飲むものなので、やはり割高感はいなめない。
「リロイ」は、カフェイン云々は抜きにして、一度飲んでみたい豆ではある。

 さて、タイトルの「ドカフェ」。書き間違いではない。
 こんなに「デカフェ」を愛飲しているわたしだが、朝早く起きて仕事をしなければいけないときなどには、やはりガツンとカフェインを摂取したくなるのである。
 そういうときは、前の晩にちょっと多めに豆を挽いてコーヒーメーカーにセットし、タイマーで朝淹れて、濃いめのものを二杯、飲むのだが、それで目がさえ、シャッキリスッキリ! というわけにはいかないのが残念だ。
 こういうとき用に「デカフェ」ならぬ、カフェインをドッカと入れた「ドカフェ」が作れないかなぁ、というのがタイトルのアイデア。

 自分でできる工夫を考えると、上記のように豆を増やすこと以外に、浅煎りの豆を使うという手もあるかと思ったが(カフェインは深煎りにすると抜けていく)。わたしは計量カップではなくグラム数で豆の量を量る人なので、結局、この方法だとカフェイン量は変わらない(深煎りにすると豆の重さが軽くなるから)のだそうだ。

 先人の知恵を拝借できないかなぁ、と、いろいろ検索していくと、なんと、もう「ドカフェ豆」が販売されていたことを知った。その名を「BLACK INSOMNIA COFFEE」という。
 公式サイトはこちら

「ブラック・インソムニア・コーヒー」。
 インソムニア――つまり不眠症という意味だ。パッケージもまたまがまがしい。通常のコーヒーの3倍のカフェイン量を含有しているという。
 公式サイトを眺めていると、ネスプレッソとコンパチなカプセルなども販売しているようだ。

 また、「ブラック・インソムニア・コーヒー」の登場前には「デス・ウィッシュ・コーヒー」という、カフェイン量2倍のものがあったとのこと。
 公式サイトはこちら

 こちらのパッケージはさらにまがまがしく中二病満載という感じだが、「ブラック・インソムニア・コーヒー」の方がそれよりカフェイン量が多いというのだから期待が高まる。

 特に専用代理店はないようだが、アマゾンジャパンでも並行輸入品として買えるとのことなので、ぜひとも試してみたいと思っている。


(ブラック・インソムニア・コーヒー)


(デス・ウィッシュ・コーヒー)

 ちなみに、どうやって「ドカフェ」にしているのかなどという製法の秘密はどこにも記されていない。そのあたりも怪しさ満点である。

 届いたら試飲して、本当に「ドカフェ」効果があるのかどうかレポートする。乞うご期待。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年04月08日

【甘味】コメダ珈琲「シロノワールN.Y」と「コメ黒」

 クッタクタに疲れている聖週間のど真ん中の「受難の水曜日」。せめてカロリーを摂っておかねばと、そういえばコメダ珈琲が「シロノワールN.Y.」という限定メニューをやっていたことを思い出し、ロードサイドのコメダ珈琲へ。



 ついでに、コメダ珈琲では珍しい(初?)という、店内でドリップするという、ブラックで飲む「コメ黒」コーヒーを注文してみた。

 店員さん「こちら、ブラックとなっておりますがよろしいですか?」

 おぅ、そんな注意が入るのか(笑)。そっちがその気なら受けて立つぜ! いつもは濃縮コーヒー液を薄めて温めて出すというコメダ珈琲のコーヒー店としての本気、見せてもらおうじゃないの。



 店内は平日とあって空いているかと思いきや、けっこう若い人が入っている。そうか、今は春休みなんだなぁ。キャピキャピ(死語)した女子がサンドイッチなどに舌鼓を打っている横で、疲れたオッサンが甘味を求めてショボンと座っているの図。まぁいいじゃないですか。

 というわけで、来たのがコレ。



 シロノワールのアイスクリーム部分はニューヨークの摩天楼をイメージしているのかな?
 この時点で、なんだかちょっと違和感を覚えているのだが、まあ、腹も減っているし、受難中の主に射祈を短く飛ばして、いただきます。



 デニッシュパンの中にはクリームチーズがいっぱい。甘味というより、ずっしりとした主食感。うむ、悪くない。ソフトクリームをつけてパクパクと。



 やはり「甘味」というよりは「主食」な感じ。わりとおなかに溜まるシロノワールだ。
 さて、「コメ黒」。こちらはブラジル最上級の豆にキリマンジャロをブレンドしたものだという。

 が、が、んが――。

 すみません。コメダ珈琲さん。これならウチで、いいブレンド豆を挽いて、コーヒーメーカーで淹れるのとそう変わりないです。ハイ。
 ま、味覚音痴のわたしがいうことですから、話半分ということで。ハイ、ハイ。もちろんブラックのままで美味しいですヨ。でもこれで520円ですか、ふーむ。ねぇ……。
 正直、今の時代のコンビニコーヒーのほうが――ゲフンゲフン。

 とはいえ、シロノワールと合わせれば、やはり美味いのは確か。
 美味しい組み合わせで、甘味だけどおなかいっぱい。ごちそうさまでした。

 ところで、話はこれだけで終わらないのである。
 聖土曜日に、成果物の納品に細君と出張し、帰りに別のコメダ珈琲へ。そこで細君に「シロノワールN.Y.はけっこうおなかに溜まるよ」と提案し、取ってみたのである。



 ん?
 あれ?

 ここで、先日撮った一枚目の写真をもう一度見てみましょう。



「君なんか写真と違わない?」

 先日、わたしの前に出された「シロノワールN.Y.」のデニッシュには、デニッシュ部に砂糖がほとんど掛かっていない!
 し・か・も――



 このシロップが一緒についてこなかった!
 店員のお嬢さんに尋ねてみる。

 わたし「このシロノワールN.Y.、シロップって普通、つけるものですか?」
 お嬢さん「はい。普通つけますが、もしお好みでなかったら使わないでくだされば」

 シロップ、お好みだよおぉおお! 甘いの大好きなんだよおぉおお。

 この前行ったコメダ珈琲。疲れたオッサンの甘味オーダーだと思って、シロップを出し忘れていやがったのだ! 甘味好きの中年男性なめんなよ!

 この「シロノワールN.Y」。期間限定だそうである。これから試してみようという、甘味好きのオッサンは、店側の「シロップの出し忘れ」にご注意のこと。

 うん、やっぱり、シロップを掛けると甘くてうんまい! 
 今日は細君と半分こ。あとはジェリコなんぞを取って、少し精気を取り戻した感じ。

 このコメダ珈琲は新店舗とのことで、帰りがけに粗品をいただいた。
 ま、シロップの件はこれでチャラにしてやんよ(居丈高)。

「【甘味】パンツァーケーキ改はジムだった」に続き、あれですよ、どうも甘味メニューは、届いたらちゃんとメニューと照らし合わせて――

「君なんか写真と違わない?」

 かどうか、確かめたほうがよさそうである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 甘味

2018年04月07日

【日記】土俵は命のやりとりをする場ではなかったのか?

 4月4日に開催された京都舞鶴での大相撲春巡業で、土俵上でのあいさつ中に倒れた市長を救おうと、土俵に数名の女性が上り、相撲協会の行事が降りるようアナウンスをした、というニュースを聞いた。

 それに対し、相撲協会の八角理事長が「人命がかかっている場では女性に降りるよう指示したアナウンスは間違っていた(意)」と謝罪したという。

 わたしはこれに、違和感を覚えている。

 最初に言っておくが、わたしは相撲に関してはまったくのシロウトである。しかし、シロウトだからこそわかること、クロウトが見逃していることを直観的に察することができる、ということもある。

 その上で言う。「土俵というのは、もともと、命がけで上る場所ではなかったのか?」

 相撲というのは「格闘技」である。もし、普通に道で誰かが誰かに張り手でもしようものなら、それは傷害事件となる犯罪である。それが許される場が「土俵」なのである。
 詳しいことは知らないが、貴乃花親方がいろいろと手を尽くしていたのは、結局、この「土俵上なら許される暴行行為を土俵以外でも当然のように行っている日本の相撲の現実」を変えよう、としたのではなかったのか。

「土俵」だからこそ、命のやりとりが許されるのである。もしそこで、対戦相手が致命傷を負い死んだとしても、その責任は問われない。そういう特殊な場所なのだ。

 わたしは今まで、「土俵に女性はあげない」という、日本相撲協会の考えを、基本的に支持していた。これは「土俵が神聖」だからではない。むしろ逆に、土俵は血なまぐさく、対戦相手を殺しても責任を問われない。粗野で危険、荒々しくむごたらしい、本来、女性や子どもに見せることすらはばかられるような場所であったからだと考えていた。

 男の中の男、命のやりとり上等、ここで死んでも本望だ。そういう益荒男だからこそ上って、命をかけて戦える場所、それが土俵なのである。倒れた市長だって命がけだったではないか。助けようと土俵に上った女性にしても命がけだったのだ。

 八角理事長の「人命がかかっている場では女性に降りるよう指示したアナウンスは間違っていた(意)」という発言は、とりもなおさず、現代の日本相撲が、そして土俵が、「命のやりとりをする場ではない」と思っていることを逆に露呈してしまったという、なんとも情けない言葉なのである。

「女性は穢れているから土俵に乗ってはいけない」という意見があるが、逆なのだ。土俵は、人が人を殺めるという穢れ≠ェ許される場所なのである。むしろ、人を生み出すことができる――この表現もPC的にはアレだが――女性のほうが神聖≠セからこそ、土俵に乗せてはいけないのである。

 これからも、女性が土俵に上っていいかどうか、議論はされるだろうが、本質的なところがもう見落とされ、変質している。
 土俵は野蛮で血がしたたり、命をやりとりする危険な場所である。女性に「そんなところ、上りたくない」と思わせてこそ、本当の相撲の土俵なのではあるまいか?

 前述したとおり、わたしは相撲にシロウトである。
 しかし、入門から、トップである横綱になれるのは、ごくわずかな者しかいない、ということは承知している。
 ドロップアウトしていく多くの者が、技術的なことを体得する以前の問題として、対戦中のけがや、体の故障による引退という、どうしようもないことで、土俵を去っていくことも。

 土俵以外での暴力事件や、逆に土俵上でのイカサマが横行すること自体、「土俵は命のやりとりをする場所」であるという意識が、希薄どころか、失われている証拠である。
 それは力士たちだけでなく、われわれ日本人すべてが忘れつつあることでもあるのだと思う。

 追記:宝塚市の中川智子市長が、「女性という理由で土俵に上がれず悔しい」などと述べたとの続報。上がればよかったんじゃないの? それこそ、死ぬ気でさ。誰も止められないでしょ、周りの人間を振り切って、死ぬ気で土俵に上がろうという人間を、それが男だろうが女だろうが、止められる人間はいないでしょ?
 そんな気概も覚悟なしに「殺し合いの場所」である土俵に上がりたいなんて、力士も、一般の人間も、寝ぼけたこと言ってんじゃないんだよ! という話なのよ、これ。
 わたしは少なくとも、チャンスはあっても土俵には上がれない。丁重に遠慮する。そこで殺し殺される気概も覚悟もない自分を知っているから。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年04月06日

【日記】てんてこまいの聖週間

 イエスの受難を記念する「受難の主日(枝の主日)」から、その週土曜の日没までの一週間は「聖週間」と言われる。特にそのうち最後の三日間、聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日については、このブログでも今まで、何度か触れてきた。

 さて、ブログの方は書きためたものを定時に自動公開しているので通常運行に見えているが、実は今年の聖週間はいろいろなことがあってヘトヘトであった。たまには日記形式で、その一週間の出来事を記してみたい。

●2018/03/26(受難の月曜日)

 朝、細君をクルマで送る用事があり、朝食はココスのモーニングバイキングで。安いのはいいが甘いものがほとんどないのが不満だ。毎回、リピはないな、と思いつつ、また使ってしまう貧乏性。
 家に戻り、仕事をしていると、家族からLINEが入る。朝から喉がおかしかったので耳鼻科に通ったら、緊急で大きな病院で見てもらった方がいい症状だ、と言われ、急遽タクシーに乗ってそちらへ移動中、とのこと。
 こちらは仰天。慌ててクルマに飛び乗って、その大病院へ。家族はちょうど診察中で、医師に呼ばれて症状を聞くと「急性咽頭炎」だという。
 ピンとこなかったが、なにかの弾みで腫れが大きくなれば、即、呼吸困難に陥り、窒息死に至る病だと聞いて青くなる。その場合はすぐに気管切開をする必要があり、町病院からこちらへ移動した、と、こういうわけだ。
 家族はステロイドの点滴を受けており、とりあえず、現状、普通に対応できる状況なので少し安心。しかし、即、入院だという。
 他の家族にもLINEするが、現状、動けるのは自分のみ。
 入院の準備のため、いったん家に戻り、そこで、帰ってきた別の家族と合流に成功。二人で再び大病院へ。
 細君にもLINEで連絡するが、情報が錯綜していて、いまいち状況がつかめない様子。出先が大病院に近かったことが幸いだったので、歩いてきてもらうことにした
 細君と病室で合流し、病人を病院にまかせ、クタクタ。外食して帰宅。

●2017/03/27(受難の火曜日)

 前々から予約が入っていたので、自分の第二の持病でかかっている、別の大病院へ。そちらの調子は良いと言うことで、服薬続行。
 さらに同じ病院で、以前、手術をしてくださった先生が術後の様子を見たいという話だったので、診察室へ寄る。今になって「珍しい症例だったんですよ」と言われて複雑な気分。
 その大病院を出て、歩いて、家族が昨日入院した方の大病院へ。桜がきれいだが、気分はヘトヘト。片道4キロくらいだろうか。
 病室へ行き、着替えなどを置いて、様子を聞くと、一日でだいぶ喉の腫れは引いたのだという。病状が良転していることにホッとする。
 ネットで調べたが、この病気、若い人でも一週間程度は入院するらしい。まだ二日目、退院のメドはつかない。
 来週、入稿しなければいけない大きな仕事があるので、帰って校正など。ゆっくり休みたい……。

●2017/03/28(受難の水曜日)

 動ける家族がわたしかいないので、着替えなど持って、クルマで大病院まで。行ってみると、病人、グッスリ寝ている。起こしては可哀想かと、DM200で原稿を書いていると、看護師さんがやってきて血糖測定があり、それで家族、起きる。
 病状は確実に良くなっているとのこと。神に感謝。
 帰路、腹が減っていることに気づき(自分は定時に食事を摂るのではなく、空腹になったら食べるタチ)、コメダ珈琲によって「シロノワールNY」の大を一個と「黒コメ」。これはこれで、そのうち記事にする。ちょっとネタになることがあったので(笑)。
 明日からは「聖なる過ぎ越しの三日間」で、毎夜、教会へ行かなければならない。入稿の日付は迫っている。間に合うのかこのペースで。とにかく、データのバックアップだけは毎日とっておこう。
 夕食の支度をしていると、入院していた家族からLINEで朗報が。今週末には退院できそうだ、とのこと。良かった。

●2017/03/28(聖木曜日)

 今日は別の成果物が事務所に届くので、それを確実に受け取らねばならない。幸い、入院中の家族のことは別の家族が見舞ってくれるというので、事務所で待機。無事、成果物を授受。
 入院中の家族は、明日、退院のスケジュール。動ける家族がわたしだけなので、わたしが迎えに行くことに。
 夜は「主の晩餐と夕べのミサ」で教会へ。ミサ後すぐに帰宅し、進行中のプロジェクトの最終工程にとりかかる。

●2017/03/29(聖金曜日)

 朝のうちに大病院へ。退院の手続きと支払いをして、家族をクルマに乗せ、帰宅。お茶を淹れて、皆で一応、ホッとする。
 明日が土曜日なので、今日が年度末。やらなければいけないことを済ませなければならない。いくつかの雑事をこなし、郵便局で会社管理している著作権料の税金を納めたり。忘れたことはない、はず。
 夜は「主の受難の祭儀」で教会へ。しんみり。
 でも帰宅したら、現実は容赦なく、深夜はプロジェクトの最終工程を続行。休みたい……。

●2017/03/30(聖土曜日/復活徹夜祭)

 昼間は成果物を届けるのと同時、現在進行中プロジェクトの最終工程チェックのために、細君と出張。細君はクルマの中で爆睡。ナビはお莫迦で変なルートを切るし、到着までがまず大変。しかし、クライアントに渡した成果物は好評で良かった。
 帰りは水曜日に寄ったのとは別のコメダ珈琲で。ここで「シロノワールNY」の真実を知る(大げさw)。これについては別記事で。
 夜は復活徹夜祭で教会へ。ご存知の方はご存知だろうが、この日のミサは長いのだ。司祭の説教中、疲れでウトウトしてしまう細君を、誰が責めることができようか。
 帰宅して、今日の出張先でのチェックを反映させて、さらに校正ミスのチェックを目を皿のようにして行う。
 退院した家族の体調は悪くないようで、その点はホッ。

 さて、聖週間は終わったが――

●2017/04/01(復活の主日)

 だというのに、納品日が迫っているので、今日も昨日と同じ出張先へ。日曜日でもお互い仕事。仕方ない。
 そちらの近くの教会で復活の主日のミサに与る。復活の主日ミサを、母教会以外で与ったのは初めてだ。
 そして、珍しいことに、説教中、わたしがウトウトしてしまった。疲れているんだなぁ。
 とにもかくにも、復活したイエス。神に感謝、アレルヤ!

 とまあ、こんな感じで、今年の聖週間は、家族の入院、成果物の納品ひとつ、さらには長いプロジェクトの最終工程に突入と、本当にてんてこまいだった。家族の入院は予想外だったが、無事、短い期間で退院できたことを神に感謝している。

 長い期間取り組んできたプロジェクトの入稿を、ゆうべ無事に終わらせて、そちらはもう、完成を待つだけだ。

 この聖週間、細君と、今まで手を出したことがなかった「エナジードリンク」を何本飲んだことか(笑)。
 実は別記事でそのうち読めると思う「ドカフェ(カフェイン量がとても多いコーヒー)」も試してみたのだが、こちらはちょっと……まあ、これもそのうち記事にするので乞うご期待。

 気づけば、ブログ記事を書くのも、実は一週間以上ぶりである。これで調子が戻ってくれれば良いのだが。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記