2018年12月15日

【日記】クーベルタンはeスポーツの夢を見るか

 なんだ前回に続いてこのタイトル。だって便利なんだもん。このフレーズw

 最初にお断りしておくが、わたしはオリンピックに微塵の興味もない。キリストもんの国籍は天にある(フィリピ 3:20)ので、日本がいくつメダルを取ろうが、開催国になろうが、そんなことはどうでもいいことなのである。

 オリンピックイヤーや、東京オリンピック2020の話題になると「誰しもがオリンピックに興味を持っていて当然」という前提で話が進むからいやになる。
 いいですか? 相手がその話題に興味がないのに、ベラベラベラベラ自分が熱中していることを唾をとばしてしゃべり続けるのは「あしきオタク」の悪い例ですよ。
 それがこと「オリンピック」となると許されてしまうのはなぜなのだろう。国民皆が「オリンピックオタク」なのだろうか。ああいやだ。

 それでなくても、耳に入ってくる最近のスポーツ関係の話題は、どうも首をかしげたくなるものばかりだ。

 ひとつは、もう過去の話題だが、義足の選手が健常者に勝利した、というもの。確か走り幅跳びで、ドイツの話だったと思う。
 まさか「600万ドルの男」や「バイオニック・ジェミー」の世界が、こんなに早く実現してしまうとは、という感じだ。メカニズムは全然違うが。
 これは素直な感想として、差別とかそういうのはっまったくなく、義足の選手はパラリンピックのような枠で出るべきではないかなぁ、と思う。

 もうひとつは最近の話。確か女子バスケットの選手に、MtFTG(元男)の選手が入り、オレスゲーの無双をしてチームに勝利をもたらした、というもの。
 そんなんアリか? というのが正直な印象。たとえ「心が女」でも、「体は男」の名残を残しているのだから、女性選手として採用するのはどうか、これが通用するなら、スポーツの女性枠など意味がなくなってしまうのではないか?

 そして%title%のeスポーツである。ぶっちゃけ言ってしまえば、テレビゲームがスポーツか否か、という議論。こんな世紀がこようとは、MZ-80BのBASICでインベーダーゲームを作っていた高校生の頃の自分が聞いたら、驚きでひっくり返り、後頭部を床に打ちそうだ。

 eスポーツがスポーツか否か、という議論を最初に聞いたとき思い出したのは、中学生の頃「海外でチェスはスポーツとして認められている。なぜなら頭脳のスポーツだから」という論理展開の違和感であった。やはり正直、チェスが「スポーツである」というのは無理筋だよなぁ、と子ども心にも思ったものである。

 当時からわたしは頭が古かったのだろうか。
 やはり「スポーツ」というと、フィジカルに「身体を使って」やるもの、という気持ちが強いのである。それも、シンプルならシンプルほどよい。駆けっこ≠ニかね。

 eスポーツは確かに身体的能力を使う面も多々あるだろうが、それ以上に環境をコンピュータに頼っている部分が多すぎて公平性に欠けると、わたしのコモン・センスが呻いている。

 上記の書き方でわかるように、わたしはeスポーツを認めていないわけではない。見事なプレイには素直に拍手を送る。むしろ、オリンピックより身近に、かつ、観るのも楽しく思っている。
 ただ、eスポーツは、オリンピックのように、基本フィジカル重視の体育会系な、言ってしまえば「粗野な」ものとは一線を画していると思うのだ。

 義足の選手が健常の選手を凌駕し、元男の選手が女子リーグで無双する時代である。
 そんな時代のオリンピックにeスポーツが参加する必要は、むしろない。
 新しい時代の「新しい技能競技」として、オリンピックに尻尾を振ることなく、独自のリーグをフィールドとして展開していくべきではないかなぁ、と思う。

 少なくとも、クーベルタンはeスポーツの夢を見なかっただろう。

 おりしも、脳筋の「スポーツ議員連盟」が、2020年以降は「体育の日」を「スポーツの日」として改称する、と決めたらしい。
「体育」は、わたしのような運動音痴でもできるような気がするが「スポーツ」となると急に縁遠くなる気がする。
 そんな機微は脳筋連中には理解できないことらしいが、せめてeスポーツは新しい競技として、今の「スポーツ」の枠に入らないでほしい、と思う。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年12月12日

【昭和の遺伝子】高輪ゲートウェイはE電の夢を見るか

 東京都港区港南に建設中の、田町と品川の間にできる新駅の名称が「高輪ゲートウェイ」に決まったという。

 新駅名の応募には6万通を越える投票があり、一位は「高輪」の八千余票、二位は「芝浦」の四千余票、三位が「芝浜」の三千余票……と続き、なんと「高輪ゲートウェイは130位で36票だったというからお笑いだ。

 あらかじめの出来レース。最初から結果ありきのアリバイ作りの駅名応募であることは明らかだ。

 ここで思い出すのは、若い人はご存じないであろう「E電」のお笑い草な顛末である。「E電」と書いて「いーでん」と読む。
 昭和62年の国鉄分割・民営化に伴い、国鉄の愛称だった「国電」に代わって国鉄――いや、民営化直後だったので正確にはJR――が一般公募した結果、採用した呼称である。

 このときも、実は「高輪ゲートウェイ」と同じようなイカサマ審査が行われていた。六万弱の応募のうち、一位は「民電」の五千余通。二位は「首都電」で二千余通、三位は「東鉄」……と続く。E電は20位で390通だったのである。
 このあたりの経緯は、Wikipediaの「E電」によくまとめられているので、ご興味おありの方は参照をよろ。

 なんと、順位も得票数も、「高輪ゲートウェイ」は「E電」よりひどいということに、あんぐりとあいた口がふさがらない。

 E電はその発表のあと「これはないだろう」という世論の嵐を無視し、JRのゴリ押しが続いたが、結局、定着しなかったのは、今のみなさまが「E電をご存じない」通り。

 このときは、得票数と採用とのあまりのかけ離れた結果に「JRはまだ国鉄の頃の、官≠フ意識を引きずっている」とよく論評されたものだった。
 あれからもう、四半世紀以上も経っているというのに、同じことをやろうとしているJRにはあきれたものである。

 どうせ「高輪ゲートウェイ」にしたかったのなら、駅名募集などしなければ良かったのだ。なまじ募集などしたから、こういう莫迦莫迦しい結果になる。

 さて、わたし自身は、新駅が「高輪ゲートウェイ」になろうが「高輪」になろうが、正直、どっちでもいいとは思う。
 E電の時代とは違い、ネットで反対署名なども行われているのが新しい動きでおもしろい。これで「高輪ゲートウェイ」が撤回されたらさらにおもしろいが、なんとなく、E電と違ってそれはないだろうな、という予感はある。

「高輪ゲートウェイ」に反対する方たちにアドバイスするとすれば、やはりE電が「普及しなかった」顛末をよく研究すべきだろう。
 要するに「みんなが使わなければいい」のである。
 いくらJRがゴリ押ししても、皆が「高輪駅」と呼び続ければ、それが市民の選んだ名前になる。

 個人的な予想としては、長い駅名は言いにくいので「高輪ゲートウェイ」を略した「タカゲー」あたりに落ち着くのではないかと想像している。

 なんにせよ、応募を募っておきながら、最初から結果ありきで応募者を莫迦にするようなJRのやりかたは気にくわないという気持ちはある。積極的に反対票を入れたりはしないが、「高輪ゲートウェイ撤回」を掲げる運動自体は応援したい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子

2018年12月08日

【日記】景色が鮮やかに見える!

 久しぶりにコンタクトレンズを装用している。それで%title%なのであった。
 実はメニコンのワンデーソフトコンタクト「Magic」の一カ月分モニターに当たったのである。
 昭和の昔、まだソフトコンタクトが年間使用で、週に一度、煮沸消毒していた時代から、酸素無透過のハードレンズ、酸素透過性ハード、使い捨てワンデーと渡り歩いてきたが、このところは老眼が強くなってきていたので、ハードもソフトも使わなくなっていたのだった。

 そんなこんなで、コンタクトレンズを入れるのは数年ぶり。メニコンの技術力の最先端である「Magic」は、いやぁ、実にすばらしい装用感である。というか、装用している、という感じすらない。裸眼でいるかのような感覚だ。

 当世、近視であっても、コンタクトをしたことがなく、ずっとメガネだけで過ごしてきた、という方は多くないのかもしれない。
 そんな世代には常識かもしれないが、近視メガネとコンタクトの最大の違いは、モノが大きく見えるということなのである。これは、コンタクトが瞳に直接乗っているのに対し、メガネは瞳からちょっと離れたところにレンズがあるという宿命からくる。
 この、モノが実寸大で見える、という快感は、やはりコンタクトでなければ味わえない。

 反面、やはりわたしは年齢が年齢だから(今回の「Magic」は遠近両用ではないので)、近いところは見にくい。コンピュータ作業などは大丈夫だが、読書のときには老眼鏡が必要だ。コンタクトをして老眼鏡というのも「行って来い」みたいでなんとなく莫迦らしい。
 しかも驚愕したことに、自分の老眼はもう「プラス2」の老眼鏡でないと補正できなかった。老いを感じるなぁ……。

 昔はあまり現実的ではなかった遠近両用コンタクトも、今は実用になっているらしい。つけるならハードで、と思っているが、興味を持ってパンフをいただくと、両眼あわせてCore i 7のデスクトップマシンが買えるくらいの値段である。うひー。
 とうてい遠近両用コンタクトなど不要そうなメニコンカウンターの若いお嬢さんから、いろいろ見え方の説明を受けていると、なんだか可笑しくなってきてしまう(笑)。運転をしたこともないディーラーさんからクルマの営業を受けているような感じ、かな。

 だいたいわたしのライフスタイルだと、家や書斎、蟄居房にいるときは、近いところしか見ていないわけで、外出するときにコンタクトをして、家では度の弱いメガネというのが、一番、理にかなっているのかもしれない。

 毎日コンタクトにするとなると、どんなレンズを選んでも、片目で月3,000円程度くらいにはなる。両目だと当然、月6,000円だ。月に一本、Jinsのメガネが作れてしまう計算である。
 コストパフォーマンスを考えると、なかなか悩ましいところだ。

 前にも書いたが、細君は「メガネ男子好き」である。最初に逢ったときも、わたしは当時流行していたPoloの丸いセルフレームメガネをしていた。そして、女子高生だった細君は、わたしに一目惚れだったという。ふふっ。
 そしてデートのとき、わたしがコンタクトをしていくと、目を見るのがイヤだと言うのであった。瞳の上にレンズが乗っているのが怖いのだそうである。

 というわけで、せっかくモニターに当選させてくださったメニコンさんには悪いが、この先、わたしがコンタクトを常用することはなさそうである。
 せめて「Magic」はすばらしい製品ですよ! と、ここで宣伝して、ご恩をお返ししておきたい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年12月05日

【日記】その男、急病につき

 ブログ更新は一回お休み。

 ――と書きつつ、筆のおもむくままになにか記していこうと思う。

 さて、今秋の風邪はどうやら喉から来るらしい。それもいきなりである。急に喉が痛くなったと思ったら、熱がぐうーんと上がる。
 しかしその分、治るのも早い。医者にかかるまでもなく、市販の総合感冒治療薬を飲んでいたら、ほぼ一日で平熱に戻ってしまった。
 ただ、その後、だらだと鼻水の状態が続く。今はときおり鼻をすすりながら、いきつけのスタバで旬のフラペチーノを飲んでいる。

 そうそう、先日、成田空港第二ターミナル一階(到着ロビー)のスタバでフラペを注文したとき、あたりレシートをもらってしまった。前回が2017年10月だったから、一年に一回のペースでいただいている感じである。
 成田空港第二ターミナルのスタバは、改修後、席をまったくなくしてしまい、ToGoでしか注文できなくなっていて使わなくなっていたのだが、先日はちょうど上記の風邪で熱を出してボーッとしていたので、冷たくカロリーのある甘い飲み物がほしかったのだ。
 あたりレシートが出たからか、冷たいフラペを飲んだからか、そのあたりから意識がはっきりしてきて、無事、海外からのお客さまをお迎えすることができた。

 ブログ更新を毎日更新から週二回更新にして、さぞや楽になるだろうと目論んでいたのだが、あにはからんや、むしろ前よりも自転車操業になっている。
 毎日更新のときは、最低でも一週間のストックはあったというのに、今この記事は、これが公開される一日前の火曜日に書いているというていたらく。ストックなんぞ一本もない。

 いや、それは正確ではないな。ストックというか、書き掛け記事は何本もあるのだが、どうにも気に入らなくて、掲載する気分にならないのである。
 週二更新ともなると、ちょっと気張っていい記事を書かねば、というプレッシャーが深層心理にあるらしい(実際にいい記事になっているかは別ですから!)。

 思うに、勢いというのは本当に大切である。毎日更新のときは勢いがあったので、なんとか二年間、勢いだけで突っ走ることができたのだ。
 どんなことでも、実際にやる前に、いろいろ考えてしまうと駄目だ。肝心の勢いがそがれてしまう。

 今の若い人から中堅の世代が、結婚に躊躇してしまうのも、おそらくそれが原因。若い頃は「自分の将来さえわからないのに」と躊躇し、中堅世代(アラサー)になると「この人と結婚して大丈夫だろうか」と躊躇する。
 結婚ほど、勢いがないとできない人生イベントはないのかもしれない。
 となると、「勢い」イコール「愛」である(このあたりの論理展開、まだ風邪の余熱が残っているらしい)。
 神様はあなたのことをものすごい勢いで見ていらっしゃるのである。なんかストーカーみたいだなw

 カトリックの正式な婚姻の秘跡ミサでも、なんちゃってチャペルのニセ牧師司式のコスプレ結婚式でも、だいたい聖書朗読ではコリント1の13章が読まれる。

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。(コリント信徒への手紙一 13:13)


 要するに、パウロも「勢いが大事だよ」と言っているのである(そうか?)。

 というわけで、「その男、急病につき、ブログ更新は一回お休み」と書き始めた勢いで、とりあえずまあ字数は埋まったし、今回はこれで良しとしよう。

 駄文におつきあい、多謝(と、勢い余っていらぬことまで書いてしまうのであった)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年12月01日

【日記】脱税? いえ、見解の相違です。

 企業関係のニュースでは、よく――

「××社が○○円の法人税の申告漏れを税務署に指摘されました」
「××社のコメントによりますと、税務当局と『見解の相違』があり、すでに修正申告を行い納税いたしました。今後はこのようなことがないよう努めます、とのことです」


 といったものが流れることがある。
 会社経理を知らない人だと「××社は『脱税』していたのを見つかったのだろう。まったくけしからんことだ」と腹をたてるかもしれない。

 しかしちょっと待ってほしい。一度だけなら……って、このフレーズはちょっと違うな。とにかく、ことはそう簡単ではないのである。

 わたしの会社は編集プロダクション業務も行っている。請け負っているタウン誌やウェブサイトなどのメディア上に、ライター、イラストレーターの先生に原稿を書いていただいた場合、相応の原稿料をお支払いするのだが、もちろん、その中から一割は源泉徴収して税務署に納税し、一月末に税務署へ提出する法定調書にも、その旨を記載している。

 ライター、イラストレーターの先生には支払い調書をお渡しし、個々で確定申告をお勧めしているが、そこから先は先生方個々の問題で、弊社とは関係のない話である。

 さて、問題は――例えばタウン誌の原稿に穴があいてしまった場合、弊社の役員たるわたしが、なにか穴埋め原稿を書くことがないとは言えない、ということである。
 このケースで、わたしが会社から、ほかのライターさんのように原稿料をもらえるか否か?

 前提として、会社役員の役員報酬は、基本的に、期首に取り決めた報酬額を、途中で増額することはできないことになっている(減額はよい)。これは、その期で期首の想定より売上高が高かった場合、役員報酬を上げて会社の損金に算入できる費用にし、納税逃れを防ぐための仕組みである。

 さて、それでは前述のように、わたしが穴埋め原稿を書いて、会社から原稿料を、いち個人としていただいた場合、これは不正な役員報酬の増額となるのだろうか?

 みなさんはどう思われますか?

 正直、わからない。カンでは源泉徴収という形で納税しているし、お金のフローは法定調書の提出で税務署へもクリアになっており、大丈夫だと思うのだが、万が一、ということもある。
 ということで、税務署にこの件をお尋ねに行った。

 相談に乗ってくださった署員の方は、こちらが用意していったレジュメを一読し――
「これは問題ないでしょう」
 と、笑顔ですぐにおっしゃってくださった。

署員「一応、法人税課の方にも確かめてみますね」
わたし「よろしくお願いします」

 と、署員の方が席を立って、ほかの部署へ確認へ行き、かなり時間が経つ……。秒針が進むにつれて、なにか、いやーな感触が心の中にわいてくる。
 そして戻ってきた署員の方の顔は、ちょっと困ったような表情になっていたのであった。

署員「ええとですね。法人税課の方に確かめたところ、この『原稿』が、会社の業務にあたるものならば、その原稿料を役員に支払った場合、会社の損金にはできない費用になるということで――」
わたし「えっ、『会社の業務にあたるものならば』ですか?」
署員「そうなんですよねぇ」
わたし「例えば、そのレジュメにあるように、穴埋め原稿などの場合、どっちにあたるのでしょう?」
署員「うーん……。その判断がですねぇ」
わたし「『会社の業務にあたる』と言われればそんな気もしますし、『会社の業務ではない』と言えば、それで通るのではないですか?」
署員「そのあたりが難しいところなんですよね」
わたし「うーん、もしもの話ですが、税務調査が入った場合、こちらが『会社の業務ではない』と主張しても、税務署側からは『会社の業務である』と指摘されるケースも考えられる、と?」
署員「そういうことになりますね。こういうお返事しかさしあげられなくて、もうしわけないのですが……」
 最後は謝られてしまった。

 これが、冒頭に書いた「見解の相違」の一例なのである。
 こういった「見解の相違」はほかにもたくさんあって、税務調査が入ったら、いわゆる「おみやげ」として、税務署側に倒した「見解」で修正申告、納税をするわけである。

 上記の原稿料のケースでは、会社からわたしに原稿料を支払ってももちろんよいのだ。しかし、期末後の法人確定申告では「損金に算入できない費用」として処理しなくてはいけない。

 結局のところ、わたしは、わたしの会社から、わたし個人に原稿料を支払うことはあきらめた。安全側に倒しておこう、ということである。

 会社経理にうとい人は「企業が税務署から申告漏れを指摘された」というだけで、「脱税だ。けしからん!」と怒るが、実際の会社経理は白黒キッチリつけられるようなものではない、ということを知ってほしい。
 たいていの企業は良心的で、脱税する意志はまずないものなのである。

 企業の「法人税の申告漏れ」のニュースが流れ、企業側から、この「見解の相違」のフレーズが出てきたときは、ああ、きっとこういう事情なのだな、と察していただければ幸いである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記