2019年08月24日

【日記】J:COMの点検営業にちょっと強気で出てみた話

 前回は「某:COM」と伏せ字にして同じような記事を書いたが(「【日記】某:COMの点検営業来たる」)、検索エンジンのことを考えると、伏せ字にすると本当にその情報がほしい人が読めないかもしれないという可能性があることを考え、今回ははっきりと書く。「J:COM」あるいは「JCOM」、「ジェイコム」の「点検営業」である。

 前回の記事を書いたのが2017/06/14。もちろん、2018年の同時期にも、やはり同じような点検営業の電話がかかってきて、そのときも2017年と同じようにのらりくらりと営業トークをかわしてお帰りいただいたのであった。
 ちなみにそのときも、電波の具合は我が家の受像機の電波強度インジケーターで確認し「良好ですね」のあと、怒涛の4K、8K、インターネットの営業トークであった。
 このとき、2017年とは違い、あまりにしつこかった印象があるので、ちょっと腹立たしく感じていたのだ。

 さて今年2019年の初夏にも、留守中に二、三回、J:COMから「点検のためお伺いしたいので、立ち会いできる日を決めたくお電話さし上げました」という留守電が入るようになった。

 今回は、家に病人がいることもあり、また、忙しい時間をくだらない営業トークでつぶされたくないため、ちょっと強気に出てみよう、と腹を決めていたのである。

 そんなある日のこと、電話が鳴った。PHSからである。J:COMからの番号だとわかっていたので、警戒しつつ受話器を取る。

 J:COM「もしもし。結城さんのお宅でいらっしゃいますか。今回は、点検のご案内の電話を差し上げました」

 わたし「その点検ていうのは、義務なんですか?」

 相手は、ちょっと気おくれしたようだった。

 J:COM「いえあの、これはですね、地上波デジタルを弊社のケーブルでご覧いただいている方に行っている、電波がちゃんと来ているかどうかをチェックするですね」

 しどろもどろである。で、ちょっと強く出てみた。

 わたし「チェックっていったって、専用の機械を持ってくるわけでもなく、いつも我が家の受像機のアンテナインジケーターを見て良好っていうだけじゃないですか。そんなのはね、わたしだってできるんですよ」

 J:COM「え、あ、いや、そうなんですけれどもね。ケーブルの太さのご案内とか――」

 わたし「で、いつもそのあとは、いらない4Kだ8Kだインターネットだのの営業じゃないですか。ウチはね、ケーブルでそれはいらないんですよ」

 J:COM「そ、それは、いろいろとご案内さしあげたいこともゴニョゴニョ」

 わたし「でですね、今回もそういう営業をなさるんでしたら、それは不必要ですから。インジケーターだけ見て帰ってください」

 J:COM「……わかりました。そういうご迷惑をかけていたとは申しわけありませんでした。それでは失礼いたします……」

 ありゃりゃ、ショボンとさせちゃったよ……。こっちも胸にチクンとくるものが、これって、恋、ちげーよ。

 なんにしろ、相手が素直に謝ってきてしまったので、後味が悪い。
 後味は悪いが、まあJ:COMの点検営業はこんな感じで見事に断ることができたという例ということで。

 聞いた話によると、J:COMの点検営業は成功歩合制で、契約がとれないと一銭にもならないのだとか。そう考えれば、電話の相手に無駄足をさせなくて済んだよな、と、心も少し軽くなるのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2019年08月21日

【昭和の遺伝子】夏祭りの思い出

 うちの町内では、夏になると、児童公園で「盆踊り」の夏祭りをするのであった。
 児童公園周りでやるからといって、これがなかなか莫迦にできない。子どもの頃は、それは盛大でにぎやかなものであった。公園周りの道路までずーっと屋台が軒を並べ、普段は夜、シャッターを閉めてしまう商店街も店を開けて、お客さんを呼ぶのである。

 出ている屋台は定番の、綿菓子、金魚すくい、かき氷、射的、やきそばなどのスナック、子どもが好きなお面などの雑貨売りなどなど。
 子どもも大人も、みな浴衣を着て、けっこう楽しんでいたという覚えがある。
 わたしも千円ばかりのお小遣いをもらって、なにを買おうか、なにをやろうかと、姉とぐるぐる児童公園を回って散在したものであった。
「盆踊り」の太鼓はドンドンドン! と迫力があり、周囲の家が振動するくらいである。
 流す曲は、東京音頭とオバQ音頭がエンドレスで、あれは著作権を払ってやっているのかなぁ?
 この頃の盆踊りの祭りは、三夜くらい連続でやっていたような覚えがある。

 もっとも、こんなに盛況だったのは、もう三十年くらい昔の話。時代が進むにつれて、少子化で子どもたちが少なくなったせいか、毎年、ちょっとづつグレードダウンしていくのであった。
 まず、屋台が道路に並ばなくなった。これは道路の使用許可を得るのが面倒ということと、テキ屋を呼ばなくなったせいと思われる。代わりに、町内会の面々がテントを並べて、子どもたちを迎える店を構えるように。しかしこれもやはりプロにくらべればショボい。綿菓子と金魚すくいは、お面売りなどは消えてしまった。

 依然として、祭りの太鼓だけは元気である。ドンドンドンカカカッカ、ドドンがドン! と鳴り続ける。これは町内会に太鼓を打つクラブがあって、年に一度の晴れ舞台、と頑張るから。

 これが町中に響き、前と違って、とてもうるさく感じる。正直、苦痛である。わたしだけが苦痛だったわけではないようで、前は午後六時から十時までドンドンドンとやっていたのが、今は七時から九時頃までで終わるようになった。

 三十年前は、こういう、町内の祭りもそこかしこで行われていて、賑やかなものだった。今は大きな神社やイベント会場でのみ大規模に行われ、町内の祭りは淘汰されていくのだろう。
 大規模ショッピングセンターと商店街のような関係のようだ。

 うちの町内の祭りも、一度、二年に一回にしようと決まったのだが、結局、町内会の飲み会の場にしたいのか、一年に一回は、ショボくても開かれ続けている。

 あああ、これを書いている今も、ドンドンドンカカカッカ、ドドンがドンとうるさいのだ。家が揺れるほどである。わたしは耳の病気をしてから、静寂な空間が好きなのである。
 これを書いたら、耳栓をした上にイヤーマフをして、横になることにする。
 ちょいと短いが、今回はこれにて御免。
posted by 結城恭介 at 08:00| 昭和の遺伝子

2019年08月17日

【映画評】ドラゴンクエスト ユア・ストーリー(ネタバレあり)・その2

 の続き。前回はほぼあらすじだけで終わってしまった。

 世間の評では、ラストの「あまりの蛇足さ」に、監督らが独自色を入れたいがための自涜行為だと言われている。ひょっとしたら――

 坂場「うーん、ダメですね。これではただのドラクエになってしまう。わたしは納得いきません」
 下山「では、このストーリー全体がゲームだった、というのはどうでしょうね」
 神地「おもしろい!」
 なつ「ええー……」
 仲「それはね、いい視点だと思うよ」
 坂場「主人公は、バーチャルリアリティでこの映画のゲーム世界を楽しんでいるんですよ。最後にそれに気づかされて、本当の敵に出会う」
 神地「おもしろい!」
 なつ「ええー……」
 坂場「本当の敵というのは、ウイルスで、実はずっと一緒にいたスラリンがワクチンだった、というのはどうですか?」
 神地「おもしろい!」
 なつ「ええー……」


 などという会話が交わされていたのかもしれない。後々のために書いておくと、これは今、NHKの朝ドラでやっている「なつぞら」のパロディである。

 さて、多くの「反ドラクエ ユア・ストーリー派」を敵に回してしまうかもしれないが、わたしは、だいたいのネタバレを知りつつ観ていたので、この結末、うーん、そう悪くはないんではないの? と思ってしまったのだ。

 最近は歳を取ったので、感想を言語化するのに時間がかかってしまうのだが、帰りに寄ったファミレスで細君と話しながら、どうやら心がまとまった。

「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」は、宣伝方法を間違えたのである。

 わたしはもう人生半分終わったオトナである。その昔、リアルタイムにドラクエにハマった経験もあるが、今となっては「え、ドラクエ? そんなもんオワコンでしょ?」と思っている。ゲームはもう全然しない。まともなオトナはね、仕事が忙しくて、ゲームになんてハマってる時間はないんですよ。だから公園にたむろするポケモンGO勢に、内心「早くオトナになれ」と毒づいている。そんな層。

 そういう層に向けて、この「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」は作られているのだ。
 観終わったあと「そうだ、そうだよな。あのドラクエを遊んだ時間は、本当に冒険だったんだ」と郷愁を感じさせ、ゲームにハマっているオトナたちに対し「まあそれもいいんじゃない?」と思わせる。そんな映画だったのだ。

 つまり、本作は、はなっから、「ドラクエ好き好き」クラスタに向けて作られた映画ではないのである。
 宣伝で、たとえば「ドラクエを忘れたオトナたちに」とか。「ドラクエはオワコンではなかった!」とか「感動を失ったかつての勇者たちへ――」とか謳えば――うーん、それでもやっぱり、悪評は出てきただろうな。

 なにしろ、わたしがこの作品を見に行った理由が「悪評がおもしろそうだったから」である。最初っから、観劇リストから除外されていたのだ。だって、ドラクエなんてオワコンだと思っていたから。
 わたしのようなひねくれ者でもなければ、そんな層がいまさら「ドラクエ」の映画なんて観るわけがない。

 わたしは本作を佳作とは言わない。しかし駄作ではないだろう。あのラストを含めて良作くらいには感じる。

 不満点があるとすれば、主人公が「ただの青年」とわかるシーケンス(街のVR屋で云々のところ)は実写にすべきだったと思う。そこまでやってくれれば――もっと悪評はひどくなるだろうと思うが――わたしは手を叩いて、やってくれたな山崎監督! と、心中、快哉を叫んだろう。


(宇宙戦艦ヤマト24話「死闘!神よ、ガミラスのために泣け!!」より引用。「やりおったなヤマザキ^h^hトめ」のシーン)

 真面目に製作側の肩を持つとすると、「早くオトナになれ」というのは、なんらかのクリエイションを志し、努力してきたものに、世間が言う呪いの言葉なのである。
 映画監督でも、脚本家でも、小説家でも、マンガ家でも、「その職業につきたい」と言うと、必ず世間は「早くオトナになれ」と言ってくる。
 その言葉を発した「ミルドラース」という名の世間を倒す、というこのお話は、決して製作陣がふざけて創ったわけではないし、むしろ真摯にクリエイターを志したり、またくじけそうなクリエイターを励ますいいシーンだと思うのだ。

「早くオトナになれ」というのは、それだけパワーワードであるし、呪詛の言葉でもあるのだ。
 観劇者が、この言葉にグサリときて反発を覚えてしまったのは、監督を始め製作者側の誤算だったのではないだろうか。

 あとね、作中、これは腹が立った。許しがたい蛮行である。本作を――世間の評よりは――評価している筆者だが、これだけははっきり意見表明しておきたい。

 花嫁はフローラ!!
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2019年08月14日

【映画評】ドラゴンクエスト ユア・ストーリー(ネタバレあり)・その1

 この八月から九月は、劇場で観たい映画がたくさんあって嬉しい。

・天気の子
・アラジン
・ダンス・ウィズ・ミー
・アルキメデスの大戦
・ゴーストランドの惨劇
・ライオンキング
・かぐや様は告らせたい
・HELLO WORLD
・アド・アストラ
・空の青さを知る人よ

 このあたりは劇場で観たいなぁとチェックを入れていたのだが、ここにきてダークホースが現れた。
 チャララチャッチャッチャーン!

「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」が現れた。どうする?
 →観る
  観ない


 実はこのタイトル。はなっから観る気はなかった。好きだったドラクエVをベースにしているとのことだが、当時はそれこそ、ステータスカンストまでやりこんだとはいえ「いまさらドラクエ映画!? オワコンじゃないの?」という意識があり、観たいものリストから外していたのだ。

 それが蓋を開けてみれば、なんとSNSでも5ちゃんねるでも悪評の嵐。中には「平成のワースト映画がデビルマンなら、令和のワーストはドラクエ映画」とまで(まだ令和元年なのに)言う人も。
 シアターから出てくる人が葬式の顔。地獄を見た。それをやってはいけないオチ。クソ映画。ドラクエ愛がない。とにかくひどい。戦犯は山崎監督。エトセトラ、エトセトラ。
 わたし、こういうのに弱いんですよw そんなにひどい映画なら、劇場で観て、後々友人に「あれ、公開時に劇場で観たんですよ」と自慢したいから。

 というわけで、暑い真夏の日差しの中、細君となじみのシアターへ。小さい箱で席は埋まっていない。どうやらチビッ子たちは「ワンピース」の方へ行ってしまうらしいですな。いやしかし、この閑散ぶり、SNSの悪評というのは、今の時代、本当に効くらしい。

 全あらすじ(ねたばれいくよーッ!)

 主人公の少年リュカは、父パパスとともに修行の旅を続けていた。目的は宿敵ゲマに連れ去られた母を取り返すこと。パパスはリュカを、かつて世界の平和をもたらした「天空人」の末裔だと信じていた。

 美少女フローラとの出会い、ビアンカとの冒険、(ベビー)キラーパンサーのゲレゲレにも懐かれたり、不思議な青年にドラゴンオーブを見せびらかしたり、ヘンリー王子との邂逅などを経験し、やがて二人は宿敵ゲマに相対。しかしパパスはゲマに殺されてしまう。

 ゲマの奴隷としてヘンリー王子とともに働かされて十年。二人は策謀してゲマの配下を脱出。優しい老人プサンの手助けもあり、ヘンリー王子は故郷の城へ。リュカは母を探す旅に復帰する。

 リュカは旅の途中で、ブオーンという魔物が平和を脅かしている街サラボナへ。そこで美少女フローラと再会する。美少女フローラの父ルドマンは、ブオーンを倒すには、天空人だけが鞘を抜けるという「天空の剣」が必要だと言うが、その天空の剣はブオーンに奪われてしまっていた。

 かつての冒険の相棒、ビアンカとブオーンの居住地へ向かうリュカ。苦戦の末、ブオーンから天空の剣を取り返すが、なんとリュカはその鞘を抜くことができない。自分は天空人の末裔ではなかったのか!? 迷っている暇もなく、闘いで辛勝を収めたリュカとビアンカ。ブオーンを味方にすることに成功した。
 街に戻り、美少女フローラとの結婚に舞い上がるリュカ。しかしそこに老婆が現れ「真の心を知りたければこれを飲め」とクスリを置いていく。リュカは迷った末にそれを飲み、自分が本当に好きなのはビアンカだと気づく。
 美少女フローラの父ルドマンに美少女フローラとは結婚できないと伝えたリュカ。そして宿屋へ戻り、すったもんだの末にビアンカに求婚。二人は結婚することになる。
 宿屋を出るところで、昨夜の老婆に出会い、礼を言うリュカ。二人が去ったあと、老婆は変身を解く。なんと彼女は美少女フローラであった。美少女フローラは、リュカの本当の気持ちが自分にないことに気づき、ひと芝居打ったのである(なお、筆者はフローラ派である(怒))。

 パパスとの居住地に戻り、従者サンチョとも再び邂逅。ビアンカは懐妊し、二人の間に、一子アルスが誕生した。

 話は進み、ゲレゲレとの再会なども経て、宿敵ゲマとついに闘うリュカとビアンカ。しかしゲマの圧倒的な力によって二人は組み伏せられ、リュカは石化させられてしまう。ゲマはビアンカが「なにかと違う」ことに気づき、彼女をさらい、すべての悪の元凶「ミルドラース」の城へと連れていく。
 そこにはリュカの母マーサが、心を閉ざしたまま球形バリアの中いた。ゲマは、実はビアンカこそ「天空人」の末裔であり、マーサと会話し、魔界の門を開けミルドラースを呼び出せ、と命令する。
 マーサとテレパシーで話すビアンカ。しかしマーサは「今回は今までと違うのです」と意味深な言葉を言い、魔界の門を開ける呪文は教えず、怒ったゲマはビアンカをも石化したのであった。

 リュカの石化が解かれたのは、なんと十年(たぶん)もあと、やりとげたのは息子アルスであった。アルスは元気な少年としてサンチョのもとで成長し、父リュカの石化を解く冒険をしていたのだ。
 そこで魔物と相対するアルス、リュカはこれを使え、と間違って「天空の剣」を投げ渡してしまう。するとアルスはその剣の鞘を抜き、魔物を一刀両断してしまった。アルスこそ「天空人」の末裔だったのだ(ま、ビアンカがそうだからね)。

 二人はゲマと闘うために、竜が人の姿を借りているという話がある街へ。そこで以前ヘンリー王子とリュカを助けた優しい老人プサンと出会い、彼こそが竜であることを知る。しかし、ドラゴンオーブがないので竜に戻れないとのこと。リュカが持っていたドラゴンオーブは偽物だったのだ。

 ここは妖精の力を借りる一手だな、というプサンの助言に従って、スライムのスラリンを伴って妖精の国へ行くリュカ。そこで艱難辛苦を乗り越え、妖精の力を借りて、過去の自分に会いに行くことに。そう、子どもの頃、ドラゴンオーブを見せびらかした不思議な青年は、自分自身だったのだ。
 ドラゴンオーブをすり替え、今の時間に戻るリュカ。プサンは竜として復活し、ゲマの待つミルドラースの城へと向かう。
 アルスは母リュカの石化を解き、闘いは開始された。だが多勢に無勢。大勢の魔物に囲まれ旗色が悪い彼らに、突然、力強い味方が現れた。ブオーンと、ヘンリー王子の戦闘部隊であった。彼らに後衛を任せゲマを追い込んだリュカとビアンカ、そしてアルス。
 しかしゲマは、リュカの母マーサの力を利用して、自らを崩壊させながらも、ミルドラースを復活させてしまった。
 魔界の門を封じるには、天空人の末裔が、「天空の剣」を使うしかない。
 ブオーンに投げられ、天空の剣を掲げ、天高く飛ぶアルス。ミルドラースはついに倒された――

 と、リュカの周りの時間が止まった。そこは不思議な空間であった。すべてのものが静止した空間の中で、ミルドラースがついに姿を現す。
「わたしはミルドラースに化身したウイルス。この世界が嫌いなものに仕掛けられた存在だ。君がいるのはバーチャル世界のドラゴンクエストワールドに過ぎない」
 ミルドラースが「テクスチャオフ!」と唱えると、リュカの周りの世界が真っ白に、「グラビティオフ!」、「コリジョンオフ!」次々とゲーム世界のリアルが崩れていく。

「リュカ」はそこでやっと思い出した。これは確かにバーチャルゲームの中だったと。自分は「リュカ」などではない。ドラゴンクエスト好きの名もない青年。街のバーチャルゲーム屋で「ぼく、いっつもビアンカ選んじゃうんですよねー」などと軽口を叩くような、ただの青年だった、と。
 今回のゲームの少年時代が短かったのも、そのとき「少年時代:スキップ」を選んでいたから。またビアンカを即選ばなかったのも、「選択:フローラ」にしていたからだと。

 茫然とする「リュカ」に、ミルドラースの名を借りたウイルスは勝ち誇ったように言う。

「早くオトナになれ!」

「リュカ」はハッとする。「それでも、ゲームの中であっても、ぼくにとっては、大事な現実なんだ!」
 正面からウイルスに立ち向かうリュカ。そこに現れたのは、ゲームの最初から主人公に付き添っていた、あのスライム「スラリン」であった。
「ぼくは君を最初から見守っていたワクチンだ。これを使って!」スラリンの背から「天空の剣」が出てくる。
 リュカはその剣でウイルスを突き刺し、ゲーム世界は再び、リアルなものとなって復活した。

 丘の上を走るアルス。それにビアンカ、ゲレゲレ。このドラクエ世界の平和よ、永遠に――

  Continue your adventure.


 ちなみに筆者は本作を一回しか観ておらず、それも三日前のことなので、詳細などは違っている可能性大であるが、ま、流れとオチ、ということでご了承を。

 しかしなっが! なっがいですな。これを103分の尺に納めたものだから、子どもなどは途中、ストーリーを追えなくて飽きてしまったのではないだろうか。ま、いなかったですけどね、チビッ子たち。
 しかし、ストーリーテリングとしては悪くない。伏線はすべて作中で回収し、きれいな構造体として形をなしている。この世界がゲーム世界だ、というのも、唐突に出てきたものではない。途中、マーサが「今回は違う」と言っているのがその伏線だ。

 で、世間の悪評ぷんぷんは、ラスト部分。このドラゴンクエスト世界がバーチャルリアリティであり、今までのストーリーがすべて「創られたもの」であった、というところに集中している。つまりこれね。


(「トータル・リコール」より引用。マトリックスというよりはこっちのイメージだろう)

 ちなみに細君の感想は「フローラを選ばなかったのは許せない」だそうだ(ウチはそろってフローラ派)。

 この記事もあまりに長くなったので、なつよ、次回に続こう。
posted by 結城恭介 at 08:00| 書評・映画評

2019年08月10日

【日記】仕事のご健闘を祈り致します。

 というメールが来たので大公開。
 特に感想は書かずに、この味わいをかみしめていただきたく。読みやすいよう改行はいれたがすべて原文ママである。

Subject:仕事のご健闘を祈り致します。

仕事のご健闘を祈り致します。

私は某探偵社の調査員と申します。お客様に頼まれ、貴方のことが全面追跡調査を行います。仕事中で貴方が身分があるであることを見つけました。それで貴方が人知れずの一面を了解しました。私にとっていい見つけると思います!

もし私はこの材料を公開したら、絶対貴方にとって悪い影響があります。

もしこの資料を貴方に渡したら、私達にとっていいじゃないの。

お客様と社長さんは私に「貴方が貴方の家族はとても大切」だと言いました。

貴方は私の要求を満足すればいいんだよ。もちろん、貴方は警察に連絡してもいいんです。でもね、私のノートに貴方の電話と住所を全部書いていますよ。

私の指示を操作しないと全部のことをご家族にお知らせしますよ。チャンスは一回しかない、手紙が二度来ないから。

24時間以内に2個つのビットコインを支払ってください
(Bitcoinウォレットアドレス:xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx)

Bitcoinをもらってから 私達は世間で知り合ったことを忘れている、これから貴方は何にも危険が無いです。すべて悪い物を隠滅します。

覚えてね、まぐれ心を持ってないでくださいね、チャンスは一回しかないよ。
ご家族の幸せを祈ります!


 爆笑したあとで、いやぁ、日本語って本当にいいなぁとしんみりしてしまうメールでした。
 この余韻を残して、短めだけれど今日はおしまい。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記