2018年06月04日

【日記】偏差値と制服

 わたしの行っていた高校は、市の新設校であった。新設も新設。なにしろわたしは二年目の入学者であった。学校の方針自体は進学校を目指していた。
 制服は当時珍しく、男女ともネクタイで女子はジャンパースカート。そして男女ともブレザーである。カバンも学校指定のものがあり、学校の名前がローマ字で記されていた。
 ネクタイピンも学校指定のものであり、学校章が入っていた。

 今では珍しくもないネクタイにブレザーの制服だが、当時は本当に珍しかった。
 学校側がその制服にした理由は、当時よりちょっと前、「荒れた高校」が市内にいくつかあり、男子はボンタン、女子は超ロングスカートなどの変形学生服が流行していたのだ。学生カバンをペッタンコにして板のようになるまでボンドで貼り付けるようなこともはやっていた。
 正直、そんな服装やカバンのなにがカッコいいのか、今も当時もわたしには理解できない。今では昭和のドラマくらいにしか出てこないロストカルチャーである。

 わが校の女子制服だったジャンパースカートは、今のように短くはなかったが、当時は「おしゃれ」に見られていたようだ。母校の中学校へ行ったとき、後輩の女子に「同じ高校へ行きたい。制服がかわいいから」と言われ、偏差値のみで進学先を選んでいた自分は「へぇー、女子はそういう観点からも進学先を選ぶのだなぁ」と新鮮に感じたものだった。

 さて、自分が卒業して、まっとうな大人として社会人生活を営んでいれば、母校の偏差値など興味がなくなるのがフツーの大人である。
 わたしが若かった頃は「学歴社会」という言葉がまだ通用したが、バブル後のこの世は、実際、それほど甘くない。
 いわゆる「いい大学」を出ている人が「全然使えねーやつ」だったり、無名校出身でも「こいつはすげえやつだ」という人材がゴロゴロしていることを知るのが社会人生活というものである。
 逆説的になるが、いわゆる「いい大学」を出ている人ほど、上記のことをよくわかっていたりしているのも面白い。

 そんなこんなで、わたしは自分の出身高校を、「中の上」くらいの偏差値だとずっと思っていたが、ある日、親戚の子が受験をするので、アドバイスを欲しい、と訪ねてきたのである。
 そしてびっくりしてしまったのだが、わたしの出身校は、今は偏差値的に「上の中」くらいにまで上がっていたのである。なんと、当時、わたしが偏差値的に諦めた学校が、逆に「中の上」くらいに落ちてしまっていたのであった。

 わたしが諦めた高校は、男子は学生服、女子はセーラー服ではなかったかな。当時は上記の通り「上の中」の進学校で、変形学生服などを着ている生徒はいない、真面目な校風だった。。
 この数十年の間に、見事に逆転現象が起きてしまっていたのである。
 あらためて、今の高校の偏差値表を見てみると、当時とは全然違っていて、さらにびっくり。細君などは、当時「上の中」の高校に行っていたのに、今は「中の中」くらいにまで落ちてしまっていることを知って、ガックリである。
 まあ、細君が通っていたのは女子校だったから、今の時代、人気がないのは無理ないのかもしれない。

 そう、「人気」なのである。
 オトナは、進学先を決めるのは「偏差値」だけだと思いがちだ。しかし、実はその他の魅力も大きかったのだ。「制服」はひとつの例にすぎないが、特に女子にはこれ、かなり大きな「魅力」だったり、逆に「難点」になったりするのだろう。

 ギャルゲやエロゲの女子の制服で「それはないだろう」というのは少なくないが、学校経営の戦略的には間違っていないのだな、と思ったりもするのである。

 どこぞの小学校の制服がお高いブランド品で賛否両論、などというニュースがあったが、そういうのもいいんじゃないですかねぇ? 少なくとも、関係者でない人間が文句を言う筋合いではないのではないかな。

 ファッションは周期性があって流行が繰り返されるという。
 今のわたしの母校の制服は、現代の中学生の目から見ると「ちょっとダサい」のではないだろうか。
 もしかしたら、数十年後には、また偏差値の逆転現象が起きているのかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年06月03日

【回想録】ポストペットの思い出

「ポストペット」と聞いて「懐かしいなぁ」と思われたあなたは、実は自分が思っているほどネット歴が長くない。
「ポストペット」が発売されたのは1997年である。たかが21年前だ。30歳のあなたが、当時「ポストペット」を使っていたら「懐かしいなぁ」だろうが、人生半分を過ぎたわたしにとってみると「ポストペット」は、Becky!よりあとに登場してきた新興MUAという印象だったのである。

 と書いてから、Becky!の歴史を調べてみると、最初のリリースが1996年となっているので、Becky!も十分、新興MUAではあったか。上記の印象論は訂正しなければならないかも。
 わたしの愛用MUAは、2018年の今でもBecky!だが、Becky!の前は、インターネットカメレオン付属の、名も覚えていないMUAであった。

 とはいえ、新興MUAという印象が強かったのは、やはりメールに「遊び要素」が入っていたからである。正直「莫迦なことをやりやがって。妙なことを流行らさないでほしい」という気持ちが強かった。メールは平文で流し、添付ファイルはuuencodeしたものをくっつけて送る、というのが、当時の男らしいインターネットユーザーの常識であった。

 しかし、まあ機会があって使い始めてみると、これがけっこう使いやすいのである。ペットがメールを運ぶ、という遊び要素を除外しても、簡単なMUAとして優れていた。
 Becky!のようにいろいろな設定をする必要もない。文章を書くエディタも、アドレス帳も必要最小限である。一度、設定してしまえば、直感で使えてしまう。
 これは、初心者にはいいな、と、最初の印象を改めた。遊び要素もメールを恐る恐るやっている初心者には向いている。

 というわけで、まず姉が始め、わたしが遊び相手として始め、そして、パソコンを始めた父のPCにもインストールした。
 老齢の父が、PCでメールを送受できるようになったのは、ポストペットのおかげだと今でも思う。

 やがてポストペットはブームになり、わたしはコミケで「ポスペ」関係のゲームやグッズを作って、島の内側の人になったのであった(それまでも、細君のサークルの売り子で島の内側にいたことはあったが)。

 ポストペットは、BolandのDelphiかC++Builderで作られていた。これは確かである。なにより挙動がデルくさ≠ゥったし(こういうのは、プログラマは匂いでわかる)、リソースエディタでデータをブッコ抜くことができた。

 ペットのキャラクターを使って、インベーダーゲームやパックマンを模したゲームを作ったり、スクリーンセーバを作ったりして、当時のコミケではよく売れた。かなり良いお小遣いになり、売りあげはもちろん確定申告にも雑所得として算入して、それなりに税金も納めたと記憶している。


(ポスペキャラのインベーダーゲーム「ぽすぺーだー」)


(これは「ペット全員集合セーバ」)


(ペットがデスクトップを歩くマスコットソフト)

 もちろん、ポストペットを発売しているso-netの著作権を侵害するようなことは一切していなかった。念のため。キャラを使ったこういう二次創作は許可されていたはずである。

 他にも売りはしなかったが、メールを送りにいったペットをすぐに呼び戻せる「ペット召喚」――



 同時に何匹もペットを飼える(ポストペットは同時起動ができなかった)「Windows版PostPet2001を同時起動可能に」――



 などのソフトを作って、自分のサイトに置いたものだった。

 ポストペットはその後、ユーザーニーズを外した重い3D化などをして、人気は下がっていった。一人、また一人とポストペット相手は減っていき、わたしもまた、Becky!に戻った(というか、ポスペ相手の人にしかポスペを使わなかったわけだが)。

 ただ、とても簡単なMUAとしては、やはり依然として「お勧め」のソフトだよな、とは思っていた。

 そのポスペに転機が訪れる。ある日、父から「メールが送られないんだけど……」と相談があり、調べてみると、その日から、プロバイダがメール送信時に、PoP Before SMTPの他に、SMTP認証を入れていやがったのだ。父が使っているポスペは古すぎて、SMTP認証に対応していない。最新Verのポスペは、回りに使っている人もいないのでお勧めできなかった。

 仕方なく、本当に仕方なく、父のPCにもBecky!をインストールしてシェアフィを支払い、Becky!の使い方を覚えてもらった。設定はもちろんわたしがやったが、最初からBecky!の使い方を覚えてもらうのは、けっこう大変だった。
 こんなことなら、PCを始めた頃から、Becky!一本で行ってもらえば良かった、と嘆いても、あとの祭りである。

 そんなこんなで、わたしとポストペットをつないでいた最後の縁は切れ、わたしの脳内でも「回想録」カテゴリに入れられてしまったのである。

 24時間、LINEで即座に反応が帰ってくる時代の子には理解できないかもしれないが、まだテレホーダイが精いっぱいの時代、ペットがメールを運んで行き帰ってくる、相手のペットが尋ねてくる、というのはわくわく感があったなぁ、と、今なら思う。

 しかしやっぱり、メールはあくまで平文で、htmlメールなんぞもってのほか、添付ファイルはuuencodeで――という男らしさを、今でも貫いている自分なのである。
posted by 結城恭介 at 08:00| 回想録

2018年06月02日

【日記】ルービックキューブに思う聖書記者の意地

 コツコツとルービックキューブに取り組んでいる。目標はまず、なにも見ないで思考と記憶だけで六面完成できるようになること。速さは二の次。

 覚えるのが簡単なツクダ法(高校生の頃はこれでやっていたはず)は、ネットにわかりやすい解法を記したドキュメントが見つからなかったのと、LBL法の方が「将来的にスピードキュービングにも移行できる」という話から、LBL法を体得しようとしている。
 側面二段ぞろえと、上十字までは、思考と記憶でできるようになった。今は上面全色ぞろえを覚えようとしているところだ。

 ところで、わたしが買った最新のルービックキューブには、LBL法の解法を記した紙片が入っていた。ネットでのLBL法の解法もいろいろ見てみたが、結局、その紙片の解説方法が一番すんなりと頭に入ったので、それをやっている。



 こんな感じで、図で描かれている。
 図というのは実に楽で確実な解説法である。この紙片を見つつ手を動かせば幼稚園児でも六面完成ができそうだ。
 しかし、この図をそのまま覚える、というのは、わたしにはできない。
 世の中には、一度見た画像をそのまま写真のように覚えてしまう特殊な能力を持つという方がいらっしゃるが、わたしには到底できない技だ。
 で、どうするかというと、これを文章化して、覚えるわけである。
 最初は日本語でやってみた。

STEP3 中段の色ぞろえ 青下
(逆)上逆 前逆 上時 前時 上時 右時 上逆 右逆
(時)上時 右時 上逆 右逆 上逆 前逆 上時 前時

STEP4 上面クロス 青下
前時 右時 上時 右逆 上逆 前逆

STEP5 上面ぞろえ 青下
右時 上逆逆 右逆 上逆 右時 上逆 右逆

STEP6 上面コーナー位置換え 緑前
右時 上逆 右時 下逆逆 右逆 上時 右時 下逆逆 右逆逆

STEP7 上面サブキューブ位置換え 青下
右時時 上時 右時 上時 右逆 上逆 右逆 上逆 右逆 上時 右逆


 こんな感じだ、ジョー!


(原作:高森朝雄/漫画:ちばてつや「あしたのジョー」20巻より引用)

「で……出たあーっ、伝家の宝刀!! こ……こんどはトリプル・クロス・カウンターッ」

 しかしこれはダメだ。ジョーならともかく、凡人のわたしには覚えられない。それに、独自性が高すぎて、未来への展望もなさそうだ。
 ルービックキューブの世界には、その動きに対して標準的な記名法があることを知り、そちらで変換してみた。

STEP3 中段の色ぞろえ 青下
(逆)U' F' U F U R U' R'
(時)U R U' R' U' F' U F
---
STEP4 上面クロス 青下
F R U R' U' F'
---
STEP5 上面ぞろえ 青下
R U'2 R' U' R U' R'
---
STEP6 上面コーナー 位置換え 緑前
R U' R D'2 R' U R D'2 R'2
---
STEP7 上面サブキューブ位置換え 青下
R2 U R U R' U' R' U' R' U R'


 審判「ホセ!!」


(原作:高森朝雄/漫画:ちばてつや「あしたのジョー」20巻より引用)

 というわけでアルファベット強し。Uは上(UP)、Rは右(RIGHT)、Fは前(FRONT)、そのまま書いてある場合は時計回り、「'」が付いている場合は反時計回りを表す。
 なるほど、これなら、日本語で略するより覚えやすそうだ。やはり、世界標準の記名法にはそれだけスタンダードな説得力があるのである。

 さて、聖書の話。聖書というのは奇妙な書物で、特に旧約は物語の最中に、突然、幕屋の設置法や、そこで祭務を行う司祭の服装などの詳細が記述されていたりするのである。けっこう読んでいて、あれ、なぜいきなりこんな記述が始まるの? とめんくらい、挫折しやすい場所でもある。

 幕屋というのは、つまり「移動式神殿」。シナイ半島の荒れ野を、神から約束された「乳と蜜の流れる地カナン」を目指し放浪するイスラエルの民が、イスラエル民族としての一体性を保つためには、そのような宗教的シンボルが必要だったのである。

 ちょっと一部を引用してみよう――。

 次に、幕屋を覆う十枚の幕を織りなさい。亜麻のより糸、青、紫、緋色の糸を使って意匠家の描いたケルビムの模様を織り上げなさい。
 一枚の幕は長さ二十八アンマ、幅四アンマで、すべての幕を同じ寸法にする。
 五枚の幕をつづり合わせ、他の五枚も同じようにする。
 青い糸の輪を作り、一方のつづり合わせたものの端に当たる幕の縁と、もう一方のつづり合わせたものの最後の幕の縁とにそれを並べる。
 一方の幕について五十の輪、他方のつづり合わせたものの幕にも五十の輪を作り、互いに合うように並べて付ける。
 そこに、五十の金の留め金を作り、両方の幕をそれらで留め合わせる。こうして幕屋を一つに仕上げる。
 次に、山羊の毛を使って十一枚の幕を作り、幕屋を覆う天幕としなさい。
 一枚の幕は長さ三十アンマ、幅四アンマで、十一枚の幕をすべて同じ寸法にする。
 そのうちの五枚をつづり合わせたものと、残りの六枚をつづり合わせたものを作る。六枚目の幕は天幕の前面で二重にする。
 五十の輪を作り、一方のつづり合わせたものの端に当たる幕の縁に付け、もう一方のつづり合わせたものの端に当たる幕の縁に五十の輪を付ける。
 そこに、五十の青銅の留め金を作り、それぞれの輪にはめ、天幕を留め合わせて一つに仕上げる。
 天幕の幕の長さの余る分、すなわち、余分の半幕分は幕屋の後ろに垂らす。
 また、天幕の幕の長さは一方に一アンマ、他方に一アンマ余るが、それは南北両側面を覆うために垂らす。
 最後に、赤く染めた雄羊の毛皮で天幕の覆いを作り、更にその上をじゅごんの皮の覆いでおおう。
(出エジプト記 26:1-14)


 いやはや、ちょっと、文章だけではアレですな。正直、わかりにくい。
 ちなみに、図にするとこうなる。


(NIV STUDY BIBLEより引用)

 図にすると実に簡単なのにね(笑)。
 余談だが、これ、日本の「お宮」に似ていると思わないだろうか。日ユ同祖説などの根拠のひとつにもなっていたりする。

 それはそれとして――。

 キリスト教系書店に行ったりすると、この幕屋の立体模型キットが売っていたりしていて、この実物を文章化するためにモーセ(が書いたということになっている)がどれほど苦心してペンを走らせたかを思うと苦笑してしまう。
 それでもモーセ(正確には旧約――タナハ――の聖書記者)は、幕屋の設計図や司祭の服を図にせず、文章で表現する、ということにこだわったのである。
 その執着心は、聖書を一読すればおわかりいただけると思う。本当に「図にしろよ!」と何度も激しくツッコみたくなるレベルである。ちょっと異常なくらいの文字への執着である。

 しかし、聖書記者が文字化にこだわったのは、それもこれも、ルービックキューブの解法と同じで「人間が記憶をするため」「未来への記録として残すため」という重要さを知っていたからではないかと思うのだ。
 同じ頃、文字を絵柄的に表現したエジプトのヒエログリフは、今や解読するのも難しい、ただのエジプトのお土産物チックな装飾図になってしまった。
 しかし聖書は、今現在でも、最新の訳で、世界の多くの国で、誰でもが読めるのである。そしてその文章から、上記のように模型をつくることさえできる。もちろんその気なら、本物と同じ大きさの幕屋、司祭の衣装をつくることも。

 一年後、十年後、数十年後はともかく、百年後、数百年後、千年後、数千年後に残るのは、図ではなく文字情報である、と、古代イスラエル人は知っていたのだ。

 数年前は、「一度ネットに流れた情報は永遠に消えない」と言われたものだ。今、わたしたちは、決してそんなことはない、ということを知っている。

 このネット社会で、話題になったり、いわゆるバズったりするのは、やはりマンガで描かれたものが多いように思う。マンガが描ける人がうらやましい、と正直、思うこともある。
 しかし、情報として長く残るのは文字情報だ、と、わたしは文章書きとして信じたい。

 そんなことを思いながらルービックキューブを回し、旧約の出エジプト記25章「幕屋建設の指示」あたりを読むのである。

 ああくそう、また間違えたー。


(原作:高森朝雄/漫画:ちばてつや「あしたのジョー」20巻より引用)

 いやいや、「完」じゃねっすから。まだがんばるから。「U' F' U F U……」


posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年06月01日

【日記】ヒゲ剃り再び

「ヒゲ剃り」の嘆きについては「【日記】シェーバーはフィリップスにしとけ」「【日記】ヒゲ剃り」の記事でもすでに書いているが、いや、何度でも嘆くのである。

 昨夜は、今日、出掛けなければいけないという意識があって眠りが浅く(これはいつものことだが)、夢で三回もヒゲを剃ってしまった。もちろん、夢で数百回ヒゲを剃ろうが、起きてみればヒゲは伸びている。
 あああ、朝の忙しい時間に、リアルでまたヒゲ剃りだよ。ゲンナリである。
 ヒゲを剃ったあとのアフターシェーブもまた染みて嫌だ。本当にヒゲ剃りは、西洋的文明人の悪習だと思う。

 とはいえ、わたしのヒゲは、そう濃くない方だと思う。きっと、男性ホルモンが少ないのである。おかげさまで、髪の毛の方はフサフサだ。いまのところは、ね。
 胸毛も生えているが、これは入浴中にサッサと剃れてしまう程度。問題は乳首回りで、たまにカミソリを当てるのに失敗して、乳首をグッサリやってしまうことがある。もちろん流血だ。
 そんなときのために、脱衣所にバンソウコウを用意してある。
 一度。乳首をグッサリやってしまい、流血をバンソウコウで止めた翌日が病院だった。聴診のためにシャツを脱いだら、あらま、乳首にバンソウコウが。女性がする「ニップレス」みたいで恥ずかしかった。「いや先生、これはゆうべ、風呂でカミソリで切ってしまいまして」と言い訳するのも輪をかけて恥ずかしかったという思い出(笑)。

 逆に、あまりヒゲが濃くないので、生やしてもそれほどサマにならない。前にも書いたが、一度、短い期間、口ヒゲも顎ヒゲも伸ばしていた頃がある。
 自分としては、当時「ダイ・ハード」のテロリストのリーダーを演じていた故アラン・リックマン(今なら「ハリーポッター」の「スネイプ先生」の方が通じるかも)に似ていると思っていたが、実際には「モルフィーワン」プロジェクトに失敗したこちらの方の方に酷似していたかもしれず。

 ヒゲは、ヒゲというだけでけっこう大きな印象を与えるので、顔の特徴が匿名化されるところはあるかもしれない。

 ヒゲを伸ばしていたときも、口ひげの下唇の部分のヒゲだけは嫌だった。そこだけは、ヒゲ剃りをしている今でも抜いている。
 なぜそこのヒゲが嫌いかというと、ここにヒゲがあると、わりと「ヒゲがある感」を覚えるからだ。
 逆に、そこのヒゲだけ抜いておけば(外に出ないなら)けっこう無精ヒゲでも耐えられるというところがある。

 そうそう、世の中には、無精ヒゲが似合う人がいる。前の主治医がそんな感じだった。忙しいからか、あまりヒゲを剃らないタイプだったのか、イケメンな風貌もあって、わたしなら無精ヒゲになってしまうとこが、サマになっていてカッコいい。あれはうらやましかったな。

 以前にも書いたが、もっと白髪が増えてきたら、またヒゲを伸ばそうと思っている。
 白髪というものは不思議なもので、増えるときには一気に増える。しかも気づくと長くなっていて、毎日洗顔をしていても、ある日突然鏡を見て「えっ、オレってこんなに白髪あったんだ」とわかるものらしい。

 振り返ってみると、自分が自分のヒゲを意識したのは遅かった。高校一年になるまでは、ヒゲ剃りなどしたことがなかった。ある日、叔父が「みっともないから」という理由で、簡単なシェーバーをプレゼントしてくれて、それで初めて「あ、オレ、ヒゲ生えてるんだ」と気づいたくらいである。

 今でも、前の晩に剃れば、翌日一日くらいは「無精ヒゲ」にならずに済む程度の伸びである。でもねぇ、こういう中途半端なのが一番面倒というのもあるんだよね。

 あー、またヒゲを剃らねばならないと思うと、それだけで睾丸摘出してもいいかも、と思うレベルですよ(やめなさいって)。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記

2018年05月31日

【日記】スタンプラリー完走

 今まで、わたしは自分の居住範囲を「ある地方都市」と書いてきた。これは別に、それが個人情報だから隠したい、といった意図ではなく、特に記事自体に、その「地方都市」が直接関連することが少なかったからである。

 ソースの中に、固定された数字(これを「マジック・ナンバー」という)を書き込んではならない、というのは、プログラマの習い性である。

 同じことは物語における創作理念においても自分の中にあって、登場人物でそれほど重要でないキャラクターは、「サングラスの男」などという「変数」を用いて書くことにしている。
 これは前にも書いたかもしれないが、わたしの作劇法は、映画的ではなく舞台的なのである。

 しかしこの記事は「わたしの住む地方都市」が舞台になっているので、いよいよそれが明らかになるのである。実はオレは、お前の父親だったのだぁーっ! 的展開、ではないけどね(笑)。

 というわけで、わたしが住んでいる地方都市、千葉市では、2017年12月1日から2018年6月30日まで、「千葉市がもっと「好き♥」になる! スタンプラリー」というイベントを実施しているのである。
 具体的には、千葉市内の観光名所五カ所≠ノスタンプを置いて、スタンプラリー用ノートに押していき、全箇所制覇すると、漫画家オーサ・イェークストロム先生のお描きになったクリアファイル≠ェもらえる、というもの。

 オーサ先生の「北欧女子オーサが見つけた日本の不思議」は拝読したことがあるので、これは千葉市住民として、またオーサ先生のいちファンとしては千載一遇の機会。と、実は去年からボチボチと観光名所≠ノ行ってはスタンプを押して、ついに先日、やっと完走。記念のクリアファイルをいただいたのであった。



 スタンプラリー用ノートにはオーサ先生書き下ろしのマンガもたくさん載っていて、ファンなら絶対確保しておきたい一冊。ラリー完走時にはチェックを入れて返してもらえる。
 クリアファイルのデザインはスタンプラリーの表紙とそう変わらないのが残念だが、裏にはゲーム「ステーションメモリーズ」のキャラなども描いてあり、好事家にはたまらないだろう。

 で、実はこのスタンプラリー、地元千葉市の人間ならばわかるのだが、かなり「完走は簡単ではない」のである。

 五カ所の観光名所は次の通り――。

1)蓮華亭(千葉公園)
2)加曽利貝塚博物館(資料室内)
3)千葉モノレール千葉駅(改札口)
4)ケーズハーバー/千葉ポートタワー
5)郷土博物館(千葉城)/いのはな亭

 いただいたスタンプノートには「移動には千葉モノレールが便利です」となっているが、いやいやいやいや、千葉モノレールで素直に行けるのは「千葉モノレール千葉駅」くらい。あとはけっこう、クルマを使ったり、駅から徒歩で向かったりしなければいけない場所ばかりなのだ。
 逆に、クルマを使うとなると、今度は、「その観光名所には駐車場がない」という壁にぶちあたる。
 特に「郷土博物館」が難物だろう。モノレール駅から離れている上に、駐車場もない。
 逆に「加曽利貝塚」「ポートタワー」は駐車場があるので、クルマで行くのは簡単だが、一番近くのモノレール駅からは、実はかなり離れている。

 おそらく、市内のこういった地理を知らない市外の方が、このスタンプラリーに挑戦しようと、クルマを使わず千葉都市モノレールだけで臨んだとしたら、途中で「これは一日では終わらない!」ことに気づき、根を上げるに違いない。
 逆にクルマで回ろうとすると、今度は「駐車場がない」場所に閉口すると思う。

 そんなこんなで、千葉市在住のわたしでさえ、去年の12月の寒い季節に始めて、もう暖かくなった5月の末に、やっと最後の蓮華亭(千葉公園)でスタンプを押し、オーサ先生のクリアファイルをいただいたのであった。
 苦労もあって、感激もひとしおである。

 まだ開催期間が残っているので、これからチャレンジしよう、という方にアドバイスするとしたら、少なくとも一晩千葉市に止まって二日かけて回るか、あるいは、タクシーをぜいたくに使って回るのが良いかもしれない。

 さて、やっとオーサ先生のクリアファイルがもらえた、と思ったら、今度は千葉市と千葉氏の北斗七星≠フ縁から「北斗の拳」とのコラボイベントで、やはりスタンプラリーをやるとのこと。
 うーむ、そちらはどうするかな。「北斗の拳」は連載中、それこそ台詞を覚えてしまうほどファンだったけれど、今度のスタンプラリーもかなり無理ゲな場所設定なような気がする。
 まあ、気が向いたらボチボチと、ということで。
 もし完走できたら、また喜びの記事を書くかもしれない。
posted by 結城恭介 at 08:00| 日記